鯉
境川のほとりに立ち川面に影を落とせば
黒くぬらぬらとした背中をよせ集め
巨大な鯉が押し寄せてくる
私が手ぶらとも知らず大口を開け締め
暗い波間にパクパクと咲く桃色の蓮のように
感情もなく何かを訴える衆人のように
その向こうに一匹
川の流れの及ばぬ茶色い淀みの中
枯れ枝に身体を沿わせ
泳ぐこともなくゆったりと
白い腹を見せひっくり返っている鯉
まるでそこだけが往年の池のように
流れがないから留まっているのか
それともお前が浮かぶから流れがないのか
私が立ってもお前だけは寄って来ず
陽の光を腹に浴びて
近くをカワセミが横切ろうとも
逃げることなく浮かび続けている
それゆえ私の目は
この黒くぬらぬらした川面の凸凹よりも
平和なお前のなだらかな腹から離れなかった
餌を食べるために口をパクパク開くことも
息を吸うために鼻面を水面に出すことも
もうしなくていい
むしろ悠然とひっくり返って
川底を逆さに見る権利さえ有した
お前の無防備にさらけだしたその艶やかな腹は
この薄暗い川にあってあの空の雲よりもまっ白い
どんな生き物も
一番弱く柔らかく
見せられなかったところが一番美しいのだ
お前もまた
ぷかぷかと陽の光を返しながら
明日には沈み
もやもやとした珪藻や藍草に包まれ
細やかで神秘的な作用によって
身体は泥へと分かたれ
やがて川よりももっと深いところへ
沈み 溶けて
いつかまた
この河岸にさく
小さな白い姫女菀の一房となって
ひょろり風に吹かれるといい