ケトル3 | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

ケトル3

細い注ぎ口から湯気は立ち上る
熱い泡は白い煙の粒となり
敷きっぱなしの布団や
ワックスの剥げたフローリング
コンビニの、袋などを尻目に
下界から解き放たれた

それとてせいぜい床から20cmほどのことだったが

それでも部屋の中は華やいだ
華やいだという言葉が適切かどうか
それは目にはみえず肌にも触れないが
およそ無機的な部屋を湿らし有機を与えた

なんどこの部屋で夕暮れを覗き
なんどこの部屋で春をやり過ごし
なんどこの部屋で月が白くなるまで傾き
なんどこの部屋でコーヒーとビールを
洗わぬ同じマグカップで飲み
このケトルで銀色の湯を注いだか

見えなくなった湯気はそれらを包んで
部屋を柔らかく舞った
換気扇の風とて地球の風に変わりなく
この部屋も雨上がりのサハラと何が違うか

ごらんいままた小さな灰色の
キッチンでよく見るあの水辺羽虫が
羽を濡らしてもがいて螺旋状に落ちてくる

あと何十年かの時計の音を総括して
ケトルは再びツマミを下げる
固液気無と旋盤を回し
どこからか無尽のエネルギーを引き出し
(それは本当は無尽ではないのに)
ケトルの中が空になったとき

築40年6畳一間の天井にも
ほんの束の間の星座がかかる
目には見えなくとも潤ったオリオン
控えめなデネブやアルタイル
砕け散った透明なアンタレスが
グロー散らつく 未だ点かぬ蛍光日輪灯の裏の
不穏な木目宇宙に臆面と走る
黒い染みの天の河に浮かぶ

大きく一つ息をすれば

ケトルのけたたましい熱い泡の音はやみ
第ニの法則は今回も破られない
(結局みんななだらかに散って静かになった)
うっすら水気を帯びたフローリングを指でなぞり
明け方
幼いころよくみた霜の朝を思い出す