深みとは②演じるという表現 | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

深みとは②演じるという表現

例えば音楽の演奏やダンスといった形態の表現と、演劇などの表現を比べてみる。

音楽やダンスは、楽譜や振りといったノンバーバルな記号を、自分で解釈して表現する。もちろん作曲家や振付家の意図や時代性を汲み取る必要があるが、記号の解釈という点では、ある意味で非常に自由で主体的であると思う。

一方で演劇。
台本というバーバルなものがあり、ストーリーがあり、そこから生まれるキャラクターがあり、それらを演じるということが生じる。

もちろん、この中にも解釈の幅も自由もあるけども、台詞やストーリーやキャラクターの持つある種の力、何というか、演者の人格まで含めて課す「形」は、楽譜や振りのそれよりも、強いと思う。

演劇の演者は、演じるという表現形態(もちろん他の表現分野でも大きな意味で演者は演じているけど)を突き詰めるために、一旦自分とは別人格の海にダイブしていくことになる。

そういう意味では、自己の自由な発露、というのとは少し違う道を辿っていく。