山手半周5
新宿を過ぎたのが17:30。冬の日は早くもうだいぶ薄暗くなってきた。ここからは新宿、代々木、原宿、渋谷という東京屈指の繁華街を歩くわけで、ビル群の明かりも薄暗くなるにつれて煌々とし始め、むしろ灯りのほうが日を引きずり下ろしていく、といったほうがしっくりもする。
こんな風に外を歩いているので、日と灯りのフェードインフェードアウトの交錯をリアルタイムで観ることができる。
さて原宿にでもさしかかると、やはり若者の街、五色の蛍光管がギラギラ五音の喧騒がガヤガヤ、4時間前に日中ポカポカと谷中墓地を歩いていた時と比べて、これでも同じ東京なんだと不思議になる。
さて、いつも、こういう若い人が(若くない人でも)、路上で、ウェーイとかギャーとか叫びながら道路を塞いで我が物顏で笑い騒いでるのを見ると、僕はとても羨ましい。
先日も成人式ということで、町田の街は金髪にスーツの男性や、髪をくるくる巻いた上に夜鷹のように肩を出して着物を羽織った平成と江戸のハイブリッドのような女性が109からミーナの間の道に溢れかえり、せっかくの晴れ着も御構い無しに道路にあぐらをかいて座り、あまつさえゲロを吐きながら寝転んだりしていた。
僕はそういう姿をみて、いいなぁ、と憧憬の眼差しでみてしまう。
本当はああいう風に気のおけない友人と人の目も気にならず馬鹿騒ぎをしたいのだ。でもできないのだ。いざ憧れているくせに、賑やかで華やかな場にいくと途端に身と心の置き場を見失う。
パーティなんかにいっても、壁に寄りかかるどころかトイレにいる時間のが長い。社交的に振る舞おうと意を決した瞬間、脇の下に汗が溜まり、襟の間からすえた臭いがしてくる。一人が好き、とかではなくて、ああいう感じのに憧れるのだけど、そのやり方がよくわからないのだ。
原宿から渋谷に向かい、賑やかになればなるほど、夜になればなるほど、冷たい空気と丸い街灯の輪の中で、一人で歩いていることの輪郭が際立ってくる。