夜行バスにて、雑想。
本日は大阪の高校での学校公演でした。移動はカンパニーとして初の夜行バスを使っており、現在、東京に向けて絶賛移動中であります。
ということで、案の定眠れません。眠れないということはまた、このように駄文を書くことで心を鎮めようとしているわけです。
さて、今朝行きしに(行きもみんなはバスでしたが、自分だけ朝、新幹線にしてもらえました。みんなありがとう)、シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」を読了しました。
もともと代表がこの本から着想を得て作ったのがいまやってる「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」でして、読むのが遅いと言われればそれまでなんですが、今回ようやっと手にしたわけです。
かの大女優、シャーリー・マクレーンが己の精神世界、神秘体験を赤裸々に書いた本であり、まだそういった概念が今ほどはなかった当時には驚きを持って迎えられた今読んでも刺激的な名著です。
読み方によってはスピリチュアリズム、オカルティズム、といった感を受ける人も当然いるかと(特に当時は)思いますが、現在となってはその垣根が恐ろしいほどにグラデーションになりつつあります。というのも、例えば、テレパシーやテレポーテーションなんかは量子もつれの研究で物理的に実証されちゃいましたし、そう考えるとこれからの世紀は、科学や宗教や神秘主義や精神世界や、そういったものがぐるっと一つの価値観に収まるような時代に突入するのでは…
なんて、そんな期待に満ちた妄想も膨らみます。物理の大統一理論や数学のエルランゲンプログラムみたいに夢のある話です。
さて、そんなものを読了したせいか、今日は、いつもは胸がいっぱいになって涙でぐしゃぐしゃになるようなシーンが、なんだかもっと透明なもののような心持ちがし、涙が流れませんでした。
涙が出るほうが、心が確かに激しく上下動しているわけですから、まあ、芝居としてはいいのかもしれませんが、ふと、かといって涙が出ればいいってもんじゃないだろう、という気もし、だいたい涙が出るってのは十分に演者の自己満足というか自己陶酔に繋がっている可能性もあるわけで、良いか悪いかはまた別のところにあるような気もするのです。
ですが、先に書いたように、舞台表現の一つの醍醐味は、人生や時間の圧縮、二時間の中であらゆる経験や体験をあらわすことですから、確かに感情のジェットコースターともいえる動きが見えたほうが良いでしょう。
なのでそこらへんは、また演出チームとも話をしながら物語の本質を探って行くわけですが、涙が出ないにしても、何かしらの方向に感情を、心を極まらせていくというのが舞台の仕事ですから、ましてや毎回、涙が出るところまでもっていくとなったら、それはそれは大変なことであります。
となったらそれは、舞台上のその瞬間だけの作業では自分は無理で、日頃から一枚一枚積み重ねた帰結でなくては、そんなに芝居心のない自分にとっては至れないところであり、信長が言うように「いくさは始まったらもう終わっているのだ。そこまでに何を積み上げるかがいくさなのだ」というのがよくわかるのです。
なので、こういった長い長い文章を書くこともまた、読む人がどうこうというよりは、一枚を積み重ねる行為の一つであるのです。
なんて書きながらまだ町田まであと6時間。
次は大江健三郎の「万延元年のフットボール」を読むとします。しかし凄いなこりゃ…「アウト・オン・ア・リム」からの振り幅が大きすぎるぞ…
ま、どうせ眠れないんだから、ゆっくり読むとしましょう。