どこへいかれるのですか
どこへいかれるのですか
こんな春の日に
うららかな木々に
おだやかな風に
もらったものも
かりたものも
なんにも返せないまま
ぼうっとたっているのです
こんなのどかな春の日に
そういえば13年前
初めてお会いしたのも
こんな気持ちの良い日で
芹ヶ谷の桜天井を抜け
はろばろとしたスタジオ
張り詰めたオーディション
居並ぶ審査員のその真中
金の髪に赤いメガネ
横にニッと結んだ口で
颯爽とオシャレに着飾り
最も小さいのに最も大きく
にこりともせず鷲のように
全員の歌や踊りや演技を
誰よりも穴があくようみつめ
やがてのち
僕らを団員ではなくパートナーと呼び
大家族として迎え入れて
同じ卓を囲み
とにかく食べなきゃダメと
打ち合わせなのに
いつもたくさんの食べ物
あまりの垣根のなさに
僕はしばらく
あなたが会社の代表だということに
気がつかないほどでした
一人の俳優として
一人の社会人として
一人の男性として
一人の出来の悪い息子として
社長として
脚本演出家として
仲間として
母親として
接して下さり
我々の甘っちょろい
社会通念や経済観念
演劇をはじめとした
薄っぺらな芸術論
三文芝居じみた安っぽい情や愛を
そうではない
そんなものではないのだと
片っ端から壊し覆し
粉微塵にしながら
叱咤し覚悟を問い
日をまたぎ
明け方まで
誰よりも歳上でありながら
誰よりも熱を持ち
声を荒げ訴え鼓舞し
立ち上がり背を叩き励まし
最後には絶対に
すべてを包みすくいあげ
新しくパンパンのエネルギーで
皆をピカピカにして
日々送り出し
一人の人間のうちに
これだけの熱量と冷静と
愛情と厳しさと
文学と理学と
経営と芸術と
絶望と希望とが
一切の裏表なく
矛盾を起こさず
内在かつ同居している人を
私は見たことがなく
信じられないと驚きながら
目の当たりにしつづけて
当たり前のようになって
いまふと
それがまったくもって
当たり前でない日々だったと
身に染みてしまうのです
いつも燃えるように
不死鳥のように振舞ってたので
また夕日のあとの朝日のように
明日も会えるだろうと
たかをくくっていたのです
いつだって取り返しのつかない
今を私たちは生きている
そうおっしゃってましたっけ
どこへいかれるのですか
こんな春の日に
たおやかな音に
あたたかな陽に
そんなに微笑んで
自分は積極的に
話す方ではなく
敬愛と
畏怖と
羨望とをもって
いつも遠巻きに話をきいてました
それでも毎年恒例のように
僕がもう無理だ辞めると
目と鼻から水分を噴き出し
喚きはじめると
肩をがっと掴み抱いて
ワタナベ
あともう少し
今日だけでいいからやりなさい
やってみなさい
まだやりきってないじゃない
面白いわよ
単純になりなさい
ね
と何度も何度も
繰り返し繰り返し
励まし
引っ張り押して
走らせていただいて
どうやら今日
上を向いて
空を見上げながら
目と鼻から流れる水分は
あの時とは理由が少し違うようで
いつか
ワタナベ
出来るようになったじゃない
あんなにへたっぴだったのに
ちょっとはマシになったじゃない
悪くなかったわよ
また頑張りなさいよ
ね
と言ってもらいたかったのに
ご迷惑ばかりおかけして
お世話にばかりなって
ちっとも恩返しもできないまま
だから葉桜が空に透けて
こんな色に滲んでみえるのは
初めてなのです
どこへいかれるのですか
持ってるものは
ぜんぶあげて
自分のためにはもたずもらわず
やっと重いからだも脱いで
軽々と
まずは最新の宇宙論でも確かめに
何億光年かあたりを
ひょいっと回ってこられるのでしょうか
それにしても
最期のお顔を
みに行かせていただいたとき
びっくりするほど血色に満ちて
髪も初めてお会いしたときのまま金色
まるで星の王子のようにツンツンと
あんなに気の漲って眠りについている
そんな人は見たことがなく
すぐにでも起きあがり
ちょっとみんな何泣いてんの
なんて顔してるの
なんて言い出しそうで
そう思うと
訃報が世に出たのが四月一日
エイプリルフールというのも
ジョークやユーモアを決して欠かさず
どんな場も笑いにかえた
あなたらしい配慮のような
ウソよまだいるのよって
ヒョイと笑って稽古場に顔を出される
そんな気さえしてきます
不思議なことに
いなくなってかえって
なんだか隣にいるような
そんな風に感じるのは
僕だけではないでしょう
みみをすませば
ワタナベ
しっかりしなさい
前を向きなさい
と
どこへいかれるのですか
どこへでもいけるから
ずっといらっしゃいますね
ここに
おそらく今後
私が何かをしたり
話したりつくったりする中に
あなたの教えや薫りが
残らぬことはないでしょう
本当に本当にありがとうございました
これからもよろしくお願いします