100年を越える思想と信念
自然科学がそもそも、私たちが見たり聞いたり感じる自然を解明しようと発生したものだとした場合、私たちでは知覚できない、もしくは感覚にそぐわない結論が出た時に、人はいったいどうするでしょう?
そこに、人間が自然にふと少し追いついた、そんな瞬間を垣間見たような、ロマンを感じるのです。
というのがアインシュタインの「予言」の偉大なところだと思うのです。
相対性理論から導かれる様々な結果は、時間や空間やエネルギーや質量の概念をことごとく覆すようなものばかりです。光の速さや超重力、空間の歪みや時間の早さなど、ある意味で私たちでは知覚も感覚もできないことです。
なので、基本的に誤りのない仮定から、誤りのない論理展開により得られた式は、誤りのない結論なはずですが、それがあまりにも自分の知覚感覚からかけ離れていた場合、「いや、自然はこんな形や仕組みはさすがにしてないだろう」という思考のバイアスがかかるのです。
ところがアインシュタインは「式がこう言っている。だから今は見つからなくても、私たちには感じられなくても、自然界にはきっとこういう現象があるはずだ」と相対性理論により言い切ったのです。
これが予言と言われる所以です。
すなわち計算や論理といった、人間の知性や理性が、知覚や感覚を凌駕した、そんな凄みがアインシュタインの予言にはある、そう思うのです。
それは天才的な物理、数学的能力はもちろんのこと、アインシュタインの持つ世界観や哲学ともいえる、思考を越えた思想と、また数式や論理といった「科学」に対する信仰ともいえるほどの信念があってこそ放たれる予言であり、そして、100年たってその予言が現実のものとなるーー
そこに、人間が自然にふと少し追いついた、そんな瞬間を垣間見たような、ロマンを感じるのです。
もちろん自然の摂理はまだまだ深淵で、すぐに突き離され、人間の感覚や知覚を遥かに超えた有り様を呈しながら、そのロマンは量子力学や最新の宇宙物理学へと引き継がれていきます。
新たな発見はただ単に科学的な興味だけでなく、そんな科学者たちの情熱のバックボーンがあるから、サイエンスファンはたまらないのではないでしょうか。
はー、今日は簡単ながら照明をやっております。
人前出るより、こういう仕事もいいなぁ。
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