「予言」の凄さ | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

「予言」の凄さ

アインシュタインが論理に論理を重ね、その凄まじい頭脳でガチャガチャと時空に関して計算しておりますと、ある方程式に行き着きます。

そこで出てきた方程式の意味は、当時の物理学では直感的に腑に落ちるようなものではありませんでした。

もっといえば私たちが日常で「実」感覚としては持つには、あまりにもかけ離れているようなもので、おいそれと「ああそうか」と理性的に噛み砕くには信じがたいような結論です。

それは物体のスピードが速くなると重さがますだとか、時間の進みが遅くなるだとか、重力で光が曲がるだとか、etc...そんな中に、巨大な物質が光速に近く運動した場合に、時空の歪みがゆらぎとなって波のように伝播するはずだ、という重力波を意味するであろう式が、昨日書いた10の方程式の中に現れたわけです。

これが「予言」になります。

アインシュタインのすごいところは、20世紀を代表するその天才的な頭脳はもちろんのことですが、その出てきた結論にまったく揺らぐことがなかったことだと思います。もっといえば己の物理観、いや世界観に対する信念に満ちていたことかと。

そもそも自然科学というのは、人が、この世界をなんとか自分の知るところにしたい、というのも自然はそもそも生きていく上での脅威であり、その無知による恐怖を少しでも取り除き、あわよくばその仕組みを理解、利用し、己の益になるようなものにしたい、というような欲求から生じたものともいえます。

ですから、目に見て、耳に聞こえ、肌に感じた「?」を解き明かしていくのが、本来の科学のスタンスでした。

だから今でも、ある仮定を立てて研究を進めていくと、予想していた、というか仮定が正しいためにはこの通りに出てもらわないと困るなーという実験データが、なかなか出ず、そうなるとやはり科学者も人間、自分の仮定が正しいものであってほしいという心理からバイアスがかかり、実験データを自分に都合の良いように取捨、解釈してしまう。

そうして出来た仮定や理論が結局間違っていた、なんてこともよくあることなのです。

そういった点でみたときにアインシュタインの「予言」は、


あ、もう電車着いちゃうからまたあとで。カンパニーではなかなか共有できない話題なのでここに書き散らします。ご了承ください。でもスッキリ。