人は失ったもので形成される
「泣かないで」無事に終幕しました。ありがとうございました。
2月の9日くらいから、身体の摩耗・劣化による動きの減衰をいかに補うか、ということでなんだかんだ20回くらいにわけて書いてきました。途中でなんか言い訳がましくて嫌だなあとも思ったんですが。
2月の9日くらいから、身体の摩耗・劣化による動きの減衰をいかに補うか、ということでなんだかんだ20回くらいにわけて書いてきました。途中でなんか言い訳がましくて嫌だなあとも思ったんですが。
実際に今回もリフトが高く上がらないということで、若手にリフトポジションを代わってもらいました。代わって高々と上がるリフトをみて、ふと、肩から風のように荷物がすっと降りるような感じがありました。
まあね、いままでやってきたことが、出来なくなるのは、わかっちゃいるけど、寂しいものです。
まあね、いままでやってきたことが、出来なくなるのは、わかっちゃいるけど、寂しいものです。
さてしかし、アカデミー賞監督賞を2年連続で受賞した、現在世界No.1の映画監督、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥはこんなことを言っています。
「人は失ったもので形成される」
と。
身体が機能を失っていくのはいわば当然のことです。細胞分裂のピークを過ぎればあとはなんでも劣化、減衰するのです。生きている以上、どんなに維持したくてもなかなかそうもいきません。
これは生命や物に限らず、人間関係や組織や価値といった目に見えないものですら同じです。どんなに必要としあっていても、状況や環境や時代が変われば別れたり離れたり失ったりします。どんなにずっと一緒にいたい、このままでありたいと思っていても。
ずっと変わらないのは数学の法則くらいなもんです。だから僕は数学ができないくせに恋焦がれてしまうのですが。
では失うことに何を見出せばいいのだろうか?と。
イニャリトゥはまた次のように続けます。
「人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になるのではなく、本当の自分になれるのだ」
と。
確かに、若手が高々とリフトを上げているのをみて感じたのは、すっと肩をすり抜ける風のような寂しさだけではありませんでした。同時に、いや少し遅れてかな、胸からじわじわと込み上げるなにか暖かさが、ゆっくりと身体を伝わっていく心地よさが、あったのでした。
人間ということばが肉体、身体のみを指すのであれば決してこんな感情は起きないでしょう。
そしてーーミツという喪失を通して、吉岡に形成されたものーー「泣かないで」もよく考えればそういう話だったのです。
以前にも書いたとおり、僕はミュージカルが大好きで初めたということでなく、数学に挫折し、まるで駆け込み寺に駆け込むかのようになぜかミュージカルに駆け込んだのでした。
ミュージカルはやることが多いです。数学が結晶ならミュージカルは大自然という感じ。生えるものももちろんあれば、失うものも日々目まぐるしいほどあります。
そんな中で、自分が今、失う過程で一体何を形成し、そして形成されゆく本当の自分がなんなのか、それは全くわからないのですが、わからないなりに見据えたいと、またもう少し、ミュージカルをやってみるのです。