作者の人生を重ねて立体に | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

作者の人生を重ねて立体に

「リトルプリンス」では、飛行士と王子に、サン=テグジュペリと弟フランソワを重ねている。と、いうように、うちの作品では脚色として、物語中の登場人物に原作者のリアルな人生を重ねることがたまにある。

何をみるにも「頼む!原作には手をつけんでくれぃ!」と叫ぶ僕も、これはアリ、と思う。

当たり前だけど、人が物語を書く場合、その人の生の生活がどうしたって影響するものだ。そもそも人の意識だとか記憶だとか思考というのが、日々感じることの蓄積から生まれるものである以上、たとえそれがフィクションだったとしても、その人のリアルが滲んでしまうのは当然だからだ。

というか、その人の人生が反映されなかったら表現なんてそもそも何なんだ、というようなもんであり、だから逆説的に日々何をしたり感じたり考えるかが、そのまま表現に直結してしまう、ああ怖い、ということなのだ。

ってことで、それを書いていた時の作者のリアルを重ねることで、より物語が伝えたかったメッセージの輪郭が明らかになる。ということがあると思う。

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さて、弟フランソワはサンテックスが9歳の時に病死していて、「星の王子さま」も実際にフランソワをモチーフとして描かれたものだという説もある。で、舞台では、その面をより色濃く出していて、といってもここがいいところなんだけど、台詞をがちゃがちゃいじるわけでなくて、飛行士の王子に対する眼差しや、さりげない一挙手一投足に、実の弟を想うようなやさしさがみえる。文章でないところで表現できる、これが舞台のいいところ。

童話としての物語が、ぐっと、血が通った生の、立体のドラマになっていくのだ。

で、ここからは個人的で申し訳ないのだが、物語の中で飛行士が「小さいころ古い家に住んでいたんだけど、そこには宝が隠されてるって言い伝えがあって…」というような語りがあるところがあって、実際弟がいる身としては、そういや自分たちも家で宝探しとかやってたよな…なんて思い出してぐっとくるものがある。


原作に作者の人生を重ねていくっていうのは、物語に血肉が通うだけでなく、↑みたちな効果もあると思うんだけど、具体的にどういうことかってのはまた明日にしよう。明日は花についても重ね合わせがあるので、花について。

30代以上の男性ならば、胸の痛みなしには観れない、そんな重ねあわせ。