橋の色はなぜこの色なのか
先日、新潟はコシヒカリの名産、魚沼市へと中学生のダンスワークショップに行ってきました。
僕は長野でもほとんど新潟との県境出身なので、見る光景や吸う空気がほとんど地元と同じで、なんだか帰省したような気分になり、中学生たちともすっかり打ち解けて踊ってきました。
耐雪使用のトンネルや家など、よくみる造りのものが多い中で、あれ?と思うものがありました。橋の色です。
地元は飯山にある綱切橋と全く同じ色なのです。これが綱切橋。以前はもっと朱色に近い赤でした。
さてよくよく考えると、そういえば橋というのはこの朱色が多いなと。そう思って町田は境川を歩いてみると、確かに朱色でした。これ以外も。まあ、錆び止めや錆が浮いても目立たないようにというのが実情かもしれませんが、鳥居もこのいろだったり、木で組まれた時代からこの色だったことを考えるとそれだけでもない気もします。
なんで朱色が多いのだろうか?
これはやはり空や川とのコントラストではないかと思うわけです。青や水色に一番映える色を塗ったのではないかなと。そう思って色相環図をみてみます。ああ、そうそう。この水色の対極、補色にある色。大昔からこの青空や川、さらには自然である緑をバックに、先人達の美意識によって橋は朱に塗られてきたのではないかと。そう考えると、天高く馬肥ゆる秋に、草木が赤く染まっていくのもなんだかわかる気がします。