酒井雄哉さん逝去
23日、天台宗大阿闍梨の酒井雄哉(ゆうさい)さんが亡くなってしまった。87歳。千日回峰行という荒行を二度にわたって修めた現代の生き仏とも言われた人だった。
この間のブログで、死ぬまでに会いたい人というのを書いて、その中には名前を入れなかった。なんというか、ダライ・ラマだとかローマ法王みたいに雲の上の人っていってはなんだけど、名前を上げるにはリアリティがないような気がして。でも亡くなってしまうとやっぱり会ってみたかった。
「死ぬまでに」っていうのはもちろん自分が死ぬまでってことだけど、対象が死んでしまうこともあるんだと、当たり前のことに愕然とする。やっぱり会いたい人、行きたい所、やりたいことは、早くやらなきゃだめだ。
千日回峰行というのは7年間かけて地球一周相当の距離を歩くという行だ。行者は短刀を腰に添え、一日でも行が果たせなければ自害しなければならない。行のピークには9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王の真言を10万遍唱える「堂入り」が行われる。医学的にも通常は死ぬといわれ、実際に死者が出たこともあるまさに命がけの行だ。
満行したのは戦後12人しかいなく、しかも二度の満行となると歴史上に三人しかいない。一度の満行でも生き仏と呼ばれるのに、二度も。
でもこの酒井大阿闍梨、なにが凄いって、お坊さんになるまでの過程がとんでもない。特攻隊の予科練で終戦を迎え、職を点々とし、ラーメン屋をやるも火事で全焼、結婚後二ヶ月で婦人が自殺、比叡山に入ったのは40歳からだった。東京にいたころお金がなくて歩くことしかできることがなく東京中を歩き回っていたらしい、その道が千日回峰行に繋がっていた。本当に人生なにがあるかわからない。
そんな大阿闍梨の言葉はシンプルでやさしい。特別なことは言ってなくても、なんだか納得し救われる。会って感じるものってのはもちろんあるだろうが、それが紙面から滲み出ているのは凄いと思う。
実はひょんなことから最近膝を痛めてしまった。毎日走っているものも休んで、振り付けも受けれるか不安な日々だ。しかし酒井さんの二千日の回峰行の中ではそんなこと山のようにあったろう。一度でも立ち止まれば自害とはいえ、本当に休まずに何があっても歩き続けるとはどんなに凄いことか。会ってみたかった。
![{260E5CDA-5DD7-4779-990C-3DD72FD83AC5:01}](https://stat.ameba.jp/user_images/20130926/10/shuyamenimomakezu/9d/a7/j/o0480048012696411678.jpg?caw=800)
今日はいまから新潟に向かうが、そんな酒井さんの本をいくつかまた買ったので、歩きでなく新幹線だけれども、少し読んでみよう。