実家・フィールド・オブ・ドリームス
広島でもジョギングをしましたが、もちろん実家でもジョギングをします。
むしろ、実家での一番の楽しみはジョギングをすることだったりします。
部活のクロスカントリーで走っていた頃はまったく目に入らなかったものが、今では嘘みたいに飛び込んできます。
家を出て、木島平スキー場クアッドリフトのゲレンデを横切り、少し降りながら走ると池の平というところにでます。厳密にいうと木島平村ではないのですが、小中とクロカンの練習で滑っていた場所です。
池の平はトウモロコシの栽培が盛んで、この時期に走ると一面の黄色が目に飛び込んできます。空の青、雲の白、山の緑、トウモロコシの黄とコントラストが見事で、ゴッホの絵にでも紛れ込んだような気分になります。発育も良く、丈も殆どが2.5m近くあり、真近に立つと視界は途端に太い茎に遮られます。そんな時、大好きな映画の一つ、「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出し、中から誰か出てくるんじゃないか、そんな気にさえなります。
あの映画のあのトウモロコシ畑が、僕はとても印象的で憧れていたんですが、なんのことはない、実家にもあったわけです。よくみれば、フィールド・オブ・ドリームスも目ではないような景観が広がります。こんな中でジョギングができるなんて、ケビン・コスナーも羨ましがるに違いありません。
そんなわけで、実家でジョギングに出ると、あんなに長く住んでいたのに目に入るものが綺麗すぎて、一旦走り出すとあてもなく2~3時間はざらに、テクテクとあてもなく走ってしまうのです。背の高いトウモロコシがいつもより早く太陽を沈めます。走りながら葉や穂の陰の間からカタカタと覗く夕陽は、映写機の光のようで故郷に帰ってきたこととあいまってなんだか酷くノスタルジックな気持ちにさせます。
冬になれば一転、ここは一面白銀の丘になります。そこにスノーモービルに括り付けた鋼鉄のカッターで彫られた、二本の深い溝に板を沈めて僕は毎日ひたすら滑っていたのでした。あのころは走るのも滑るのもキツくて嫌で嫌で、なんにも見えなかった、いや、見てなかった、なんてもったいないことをしたんだろう。
冗談でも大袈裟でもなく、夢のような広場を駆け抜けさせてもらっていたわけです。
実家に帰ってくるたびに、走りに出て、そんな美しさを少しでも取り戻したいと思います。
iPhoneからの投稿
むしろ、実家での一番の楽しみはジョギングをすることだったりします。
部活のクロスカントリーで走っていた頃はまったく目に入らなかったものが、今では嘘みたいに飛び込んできます。
家を出て、木島平スキー場クアッドリフトのゲレンデを横切り、少し降りながら走ると池の平というところにでます。厳密にいうと木島平村ではないのですが、小中とクロカンの練習で滑っていた場所です。
池の平はトウモロコシの栽培が盛んで、この時期に走ると一面の黄色が目に飛び込んできます。空の青、雲の白、山の緑、トウモロコシの黄とコントラストが見事で、ゴッホの絵にでも紛れ込んだような気分になります。発育も良く、丈も殆どが2.5m近くあり、真近に立つと視界は途端に太い茎に遮られます。そんな時、大好きな映画の一つ、「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出し、中から誰か出てくるんじゃないか、そんな気にさえなります。
あの映画のあのトウモロコシ畑が、僕はとても印象的で憧れていたんですが、なんのことはない、実家にもあったわけです。よくみれば、フィールド・オブ・ドリームスも目ではないような景観が広がります。こんな中でジョギングができるなんて、ケビン・コスナーも羨ましがるに違いありません。
そんなわけで、実家でジョギングに出ると、あんなに長く住んでいたのに目に入るものが綺麗すぎて、一旦走り出すとあてもなく2~3時間はざらに、テクテクとあてもなく走ってしまうのです。背の高いトウモロコシがいつもより早く太陽を沈めます。走りながら葉や穂の陰の間からカタカタと覗く夕陽は、映写機の光のようで故郷に帰ってきたこととあいまってなんだか酷くノスタルジックな気持ちにさせます。
冬になれば一転、ここは一面白銀の丘になります。そこにスノーモービルに括り付けた鋼鉄のカッターで彫られた、二本の深い溝に板を沈めて僕は毎日ひたすら滑っていたのでした。あのころは走るのも滑るのもキツくて嫌で嫌で、なんにも見えなかった、いや、見てなかった、なんてもったいないことをしたんだろう。
冗談でも大袈裟でもなく、夢のような広場を駆け抜けさせてもらっていたわけです。
実家に帰ってくるたびに、走りに出て、そんな美しさを少しでも取り戻したいと思います。
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