東京千秋楽 せめてその一秒のため | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

東京千秋楽 せめてその一秒のため

「21C:マドモアゼル モーツァルト」東京公演無事に終了しました。皆様本当にありがとうございました。

さて、この作品、もともとの「マドモアゼル モーツァルト」に戦争という要素を入れ、モーツァルトが生きた時代と現代をリンクさせています。

地球上で一秒たりとも戦争や内紛や暴動がなかったことがないと言われるくらい、どこかで常に争いが行われています。

今回でいえば、リアルタイムなのはやはりトルコの反政府デモでしょう。放水に対する民衆など、みていると人が一線を超える瞬間というのは、表面張力から解き放たれたコップの水のように一度流れ出したら際限がきかないものだと思い知らされます。

実は二幕で「レボリューション」というナンバーがあり、やはりこれも民衆による反体制の意味合いが込められたナンバーなのですが、いくらやっても「リアリティがない」といわれ、皆でどういうことかと随分話しあったものです。しかし、やはり百聞は一見に如かず、先のトルコの様子をみると、生半可なことではないと、胸に重苦しいものが刻まれ、自分たちのやっていることが、ミュージカルもどきで終わっていることに、冷や水をぶっかけられた思いでしたを

そんな中でこんな写真をみつけました。
photo:03

ぱっとみて、あの絵を思い浮かべます。
photo:02

そう、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」です。

歴史は繰り返すといいます。
例えそれが誰もが繰り返しを望まぬ歴史であっても。
この連鎖が断ち切られ、地球上に一秒でも争いがない瞬間が生まれることはないでしょうか。


モーツァルトの音楽を聴きながら争うのはなかなか難しいかもしれません。言語がちぐはぐな世界で、心に唯一平等に訴えかけられるものが音楽かもしれません。

せめて、そんな一秒が生まれるようにと「『音楽』座ミュージカル」の名のもとに、公演を一つ一つ、祈るかのように今は演じるのみです。




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