並行世界の君へ
並行世界という概念がある。
パラレルワールドのほうが馴染みがあるだろうか、SFにもよく使われている概念だ。
ある選択をした場合、どこかにこの世界とは別に、選択しなかった場合のほうの世界が存在しているという。
これは量子力学の、エヴェレットによる「多世界解釈」という考えからも来ている。
多世界解釈とは、あの有名なシュレディンガーの猫を例にとれば、
「量子力学的には、箱の中にいる猫は、開けるまでは、生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっていて、開けるまではそのどちらかは決まらない」
という話に対して、
「開けた瞬間、観測者は、生きた猫をみた観測者と、死んだ猫をみた観測者に別れ、それぞれの世界が存在するを」
というような話である。ザックリいえば。
これに対して、
「箱を開けた瞬間、猫は生きているか死んでいるかのどちらかに収束し、観測者はそのどちらかをみる」
というのをコペンハーゲン解釈という
まあ、それはともかく、仮に多世界解釈をとって、並行世界があるとしよう。
「ああ、あのとき、こっちの選択をしていたら、、、」
と私たちは考えることが多い。選ばなかったほうに想いを馳せてしまう。
だが並行世界があるとすれば。
「おおい、そっちの選択をした俺。元気でやってるかい。こっちに選択したほうの世界は俺頑張って生きるからさ、そっちの方はよろしく頼むわ」
と言えるのではないか。
色々と選ばなかったことを思い煩う必要はない。あっちの世界は選ばなかったほうの自分に任せて、こっちの世界で自分の選んだ道を必死に生きればいい。
パラレルの俺よ。そっちは頼んだぞ。
iPhoneからの投稿
パラレルワールドのほうが馴染みがあるだろうか、SFにもよく使われている概念だ。
ある選択をした場合、どこかにこの世界とは別に、選択しなかった場合のほうの世界が存在しているという。
これは量子力学の、エヴェレットによる「多世界解釈」という考えからも来ている。
多世界解釈とは、あの有名なシュレディンガーの猫を例にとれば、
「量子力学的には、箱の中にいる猫は、開けるまでは、生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっていて、開けるまではそのどちらかは決まらない」
という話に対して、
「開けた瞬間、観測者は、生きた猫をみた観測者と、死んだ猫をみた観測者に別れ、それぞれの世界が存在するを」
というような話である。ザックリいえば。
これに対して、
「箱を開けた瞬間、猫は生きているか死んでいるかのどちらかに収束し、観測者はそのどちらかをみる」
というのをコペンハーゲン解釈という
まあ、それはともかく、仮に多世界解釈をとって、並行世界があるとしよう。
「ああ、あのとき、こっちの選択をしていたら、、、」
と私たちは考えることが多い。選ばなかったほうに想いを馳せてしまう。
だが並行世界があるとすれば。
「おおい、そっちの選択をした俺。元気でやってるかい。こっちに選択したほうの世界は俺頑張って生きるからさ、そっちの方はよろしく頼むわ」
と言えるのではないか。
色々と選ばなかったことを思い煩う必要はない。あっちの世界は選ばなかったほうの自分に任せて、こっちの世界で自分の選んだ道を必死に生きればいい。
パラレルの俺よ。そっちは頼んだぞ。
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