父親の背中④ | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

父親の背中④

年始に家に帰ると、父親が早速、肩の使いかたを教えてくれるということになった。

「肩が上がって、しかも前肩になってしまっているから、空間が全部つぶれているんだ」

といって、背中の動きをみせてくれた。


正直、驚いた。


というのも、僕はパントマイムの流れからアニメーションダンスを一時期習っていて、このマイムやアニメーションの要とも言えるのが「アイソレーション」といって身体のパーツを単離して動かす技術である。よく、インド人のまねといって首を平行に左右に動かすのをイメージしてもらえるといい。あんな風に、単離して意識的に動かせるパーツがあればあるほど、動きの質が飛躍的によくなる。

しかし、3年トライして、いまだに動かせない重要なパーツがある。それが肩甲骨のアイソレーションなのだ。肩甲骨は上半身の中でも大きな骨なので、ここのアイソレーションが出来ると出来ないでは、パフォーマンスに雲泥の差が出るのだが、自分は感覚が掴めなくてどうしてもできなかったのだ。

それを、父親が目の前であっさりとやってのける。
肩甲骨を下げて寄せるところまでは自分もできるのだが、そこからさらに下に押し広げるという動きが自分はどうしてもできなかったのだ。

あまりにビックリしたので触らせてもらった。

よくよく考えると、うちの父親は肩がこるということもあまりきいたことがなかったので、こんなに背中や肩をまじまじと触ったのは初めてだった。

もう一度動かしてもらう。

肩甲骨の動きが分厚い背中の中でゴソっと移動して、自分の理想とする動きをする。

「こうなると、前の空間がひろがるんだよ」

といって、今度は前を向いて今の動きをする。
するとどうだろう、肩から胸にかけての「空気」が、ある粘り気や意思を持った「空間」にかわるではないか。その変化を目の当たりにして、ただただ唸るだけだった。


よく、男は「背中で語る」と言うが、語るどころではない、それよりももっと濃密で芳醇な「なにか」を、表されたという感じだった。


父親の背中というのは、そういったものなのかもしれない。




長くなったなー。次回で最後です。