父親の背中① | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

父親の背中①

 昨年末、久しぶりに父母揃って東京に公演を観に来てくれた。最近は長野から上がって来るのもだいぶ億劫になり、特に父親などはそもそも舞台を観るということ自体が稀なので、本当に久しぶりに観てもらったという感じだった。

 いつもは終わったあと感想を聞いても「もっと出る機会が多い役やればまた観に行くからよ」としか言わないのだが、今回は違った。

「肩の使い方が悪くて空間がつぶれているから、年始に帰って来たら教えてやる」

ということだった。



 うちの両親はもともと社交ダンスのパートナーでお互い結婚した。そしてダンスの出来る宿ということで長野に出て来て今の宿を経営し始めた。だからうちにはダンスホールがあって、つい最近までは、時間があれば両親も二人でホールドを組んで良く踊っていた。今はお互い身体が悪くてもう踊っていないが。

 夏や冬になれば、都内の名だたる大学のダンス部が合宿に来て、朝から晩まで学生がダンスを踊っていた。父親は東京で踊っていた時、敏腕講師であったこともあり、時間があくとよく学生に教えていた。学生からの信頼も厚かったようで、卒業してから日本チャンピオンになったOBが合宿に顔を出しにきて、「おじさんいますか?」と挨拶に来たり、新入生を一緒にみながら「あいつは筋がいい」などと話していたりもした。

 では、小さい頃から自分はダンスの英才教育をバリバリ受けていたかというと、全くそんなことはない。むしろ社交ダンスが大っ嫌いだった。なぜか?

 二人でホールドを組んでいる間は、全く構ってもらえなくなるからだ。子供心に、二人がホールドを組み始めるのは非常に淋しく、次第に間に入ってホールドを解きに行くようになった。

 しかし両親にしてみれば、今から踊ろうとしているところでホールドを解かれるのはたまらないため、お菓子を与えて解かれるのを防ぐという防御策をとるようになった。

ところが、これはは次の図式が成り立つことを僕に理解させた。

「ダンスを邪魔する⇒お菓子が食べれる」

こうして見事に肥満街道をまっしぐらになるわけである。


 というわけで、社交ダンスが嫌いだったため、両親とダンスの話をするなど、ましてや教わるなどということは、ほとんどなかった。


 それが、年始に急に教えてくれるという。
 どういうことだろう??


つづく