「わかりやすい」ということ | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

「わかりやすい」ということ

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「わかりやすい」ということが流行っていると思う。

僕自身、新書などの著者で好きな方が3名いる。

・池上彰さん
・福岡伸一さん
・細野真宏さん

池上彰さんはいうまでもなく、社会情勢をバッサバッサと切り分けてわかりやすく伝えてくれる。先の総選挙での候補者へのツッコミ具合などはみていて痛快だった。

福岡伸一さんは「生物と無生物のあいだ」でサントリー学芸賞や新書大賞を受賞している分子生物学者。いろいろと批判もあるそうだが、それだけ多くの人が手に取っているわけで、生物学をここまで一般の人に興味を持たせている功績は大きいと思う。

細野真宏さんは予備校講師として大学在学中に数学の参考書を書き始め、「本当にわかりやすい」「世界一わかる」シリーズで今では経済をわかりやすく説明してくれている。管政権では「社会保障改革検討会議」の委員にも就任した。僕も細野さんの参考書には本当にお世話になった。


この方々の本は、本当に0ベースから読んでも意味がわかり、また、わかるとまではいかないところであっても、対象の大まかなイメージをつかむことができる。つまづくことなくサクサクと読め、読み終わったあとには、一つ自分の世界が拡がったような、窓が開いたような、目が増えたような感覚になる。

この他にも、「漫画で読める〇〇」というように、古典や文豪の書いた小説のあらすじが手軽にわかるものがコンビニにおいてある。「そんな漫画などで手軽に読んだ所で、これらの本の本当の味わい深さはわからない」という声も多く聞くが、まあそれもありなんと思う反面、個人的にはいいんじゃないかなとも思う。

「わからなくて触れない」
よりは
「わかりそうだから触れてみる」
の方がよっぽど価値がある。

0と1の差は果てしなく大きい。


なぜこんなに「わかりやすい」ことが流行っている=価値がある のだろう?
では「わかりやすさ」が流行る中で自分たちの表現ってのはどういうもんなんだろう?


なんて、ふと思ってみたりするが、時間がなくなったのでまたあとで書こうと思う。