告別 | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

告別

いよいよ入試もピークにかかり、これが終われば卒業、といった時期に差し掛かってきました。

皆、様々な別れの小さな予感を抱きながら、しかし決して口に出すことなく、それでも次の旅立ちにむけて顔を上げてがむしゃらに動きつづけるこの時期は、なんとも言えないような甘酸っぱさが、冷たい空気のなかに紛れ込んでいる気がします。

さて、なかなか、ブログを書く時間もないので、好きなものをお借りしてブログとします。宮沢賢治の「告別」です。



「告別」 宮沢賢治

おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかがやく
天の仕事もするだろう
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村の一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
泰西著名の楽人たちが
幼齢 弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
それらのどの人もまたどの人も
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材というものは
ひとにとどまるものでない
(ひとさえひとにとどまらぬ)

云わなかったが
おれは四月はもう学校にいないのだ
恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音が正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけているような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光の像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい




この時期になるといつもこの詩を思い浮かべる。自らも学校を去り、送り出す教え子に向かって、渾身の言葉を投げかける賢治のそれは、最終的に自分自身への覚悟を定めるように締められている。

「力のかぎりそらいっぱいの光でできたパイプオルガンを弾くがいい」

ふと空をみあげれば、雲間から刺すいく筋もの陽光が街に立つ。光のパイプオルガンだろうか。今日も街中に玲瓏の響きが鳴り渡るといい。


さて自分も一日、力の限り弾くことにしようか。





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