ダイアローグ・イン・ザ・ダーク | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク

先日、いま話題の「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」に行ってきました。

日本語に直すと「暗闇の中での対話」になります。何かというと、真っ暗闇の中、盲目の方を案内人に、見知らぬ同士8人チームで手探りで90分間進んで行くというもの。

道中、草の匂いがしてきたり、小川のせせらぎを聞こえたり、その水に手を浸したり、吊り橋を渡ったり、団扇に絵を書いたり、屋台で飲み食いしたり…ということをやっていきます。

無論、これらは「純度100%の闇」という目が慣れたところで決して何も見えない闇の中、文字通り「手探り」で行われます。右手は視覚障害者の方の使う白杖を持ち、左手ははぐれぬよう互いに触れながら進みます。また、誰がどこで何をしているかわからないと危険なため「修也立ちました!」というように行動のすべてを口にしなくてはいけません。

だんだんと視覚以外の感覚が鋭敏になっていくのがわかり、使えるコミュニケーションをすべて駆使することになります。すると、そのうちリーダーシップをとる人がでてきたり、やたらはしゃぐ人がいたり、より無口になる人がいたり…と、一人間の本質が闇の中に明確に浮かび上がってきます。そういった意味で、今では婚活や企業研修にも多く使われているというのも頷けます。


僕が面白かったのは、一つ目は先にも書いた通り、視覚以外の感覚が鋭敏になっていくこと。徐々に耳が音の成分の細かさに気づいていったり、触れる人の肉の柔らかさ血の温かさがいつも以上に生々しく感じたりしてきます。

それは感覚としては、「普段どれだけ視覚に頼っているか」ということよりもむしろ、「ある感覚が失われた時、他の感覚がいかに拡張されるか」というもの近いです。

また、二つ目は、最後に明るい部屋に通されたあと、案内人の方から「さあ、みなさん、これでゴールですが、何分くらい歩いていたと思います?」という質問がされます。僕は正直、「あれ?もう終わり?」と思ったくらいなので、40分くらいと答えました。それでも皆よりは長い答えで、軒並み30分という声が多かったのですが、時計を見てみるとキッカリ90分!これには驚きました。

つまり、他の神経をフルアウトして集中しているので、時感が短くなるのです。面白い時間が早く感じるのと同じです。


さて、すべてが終わり、地上に上がって陽の眩しさに目をやると、ふと、こんなことを思います。

「視覚に加え、もう一つ、聴覚も閉ざされたら、更に他の感覚は研ぎ澄まされるだろう。では、さらにもう一つ、さらに…

…五感がすべて閉ざされた時、私たちは何かしらの感覚が研ぎ澄まされ切るのでは?」

なんてことを。


もしかしたら、「死」とは魂のもっとも鋭敏な状態なのかもしれません。



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