終幕の鐘の声 | 渡辺修也オフィシャルブログ「雨ニモマケズ」Powered by Ameba

終幕の鐘の声

朔日、無事にアイ・ラブ・坊っちゃん2011千秋楽を終えることができました。みなさんどうもありがとうございました。

本番に入ってしまうとどうしてもバタバタしてしまい、いつも以上に連絡など疎く不義理を働いてしまったこともあり申し訳ありません。頂いたメッセージやコメント、徐々に返していきますので、お待ちください。


さて、今回はこの鐘が台詞の代わりでした。
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一公演で約40回鳴らします。が、劇場に入ってから思いもよらないダメがでました。

「広いから客席まで聴こえない」

マイクを鐘につけるわけにもいきません、ただ強振すれば良い訳でもなく、挙げ句の果てにはドラムの野呂さんに教えを乞うていました。

中の真鍮の玉を打ち付けながら鳴らすのですが、三回以上反射すると、響きが減衰してしまうし「からーん」でなく「かららら…」と、雑音として聴こえてしまいます。三回以上は玉が当たらないように、しかし強く打ち付けるのが至難の技でした。

鐘ばかり気を取られると芝居がわからなくなるし、芝居をすると鐘がちゃんと振れないし…納得して鳴らせたのは、青山の後半三回くらいからでしょうか。

何でもそうですが、イメージが大事ということで、ある時ふと平家物語の序文を思い出して口ずさんでいました。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理を表す

後半は琵琶法師にでもなったつもりで鐘を鳴らしてました。学校の用務員の役なんですけど(笑)。そのうち「からーん、からーん」と雑味のないクリアな音がなるようになり、バイオリンの田島さんにも褒められました。

鳴らしていくうちに、いつもは「何かをやる」ということで頭がいっぱいになりますが、今回は「何もやらない」ということが大事だということが良くわかりました。

鐘の音が強く響くのも大事だけれども、実は、次に鳴らすまでの静寂が、間が大事なのだと。ここで雑音を鳴らしては台無しだ、むしろこの無音の緊張を生む為に鐘を鳴らすのかもしれないと。

照明家の中にも、影を創るために明かりを当てるんだと言う人もいます。そういうことかと。

この感覚を今後に生かしていかなくてはなりません。

なにはともあれ無事に終わりました。色々な裏話はまた後で。今日は平家物語の最後の文でしめましょう。鐘の音で始まり、鐘の音で終わる、やはり名文です。


さる程に寂光院の鐘の声
今日も暮れぬとうち知られ



ではでは。












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