towaのブログ

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http://ameblo.jp/sugars-le-penseur/entry-11475684336.html
に対するアンサー日記です。

って、またお前かいって言わないで。
次は少し控えるから。

確かに、対象は一つなのに表記だけ増えるは、奇怪やね。

フミくんにとっては、どうでもいい事を懇切丁寧に説明してくれて、ホンマにありがとう。

ここで、軽く俺が「障碍」と言う言葉を使っている理由を述べさえて。

ます「障がい者」と言う表記が感覚的に違和感があります。

[漢字][ひらがな][漢字]と並ぶと、何ともバランスが悪く、まるで「がい」と言う時が機種依存文字で表示が出来ない為の措置のように、違和感を覚えるからです。

じゃあ、なぜ「障害者」と表記しないかと言うと、考えてないと思われたくない為です。

害と表記すると、嫌に思う人が一人でもいるなら、本来の字である「碍」を使おうと。
※ご存じない方の為に、「害」は常用漢字を制定した際の言わば当て字として、「碍」と同じ音の「害」に置き換えたと言ういきさつがあります。

しかし、結局のところ当の本人に「どれでもよい」と言われてしまうような事であれば、わざわざ気をつける必要は無い気がする。

ソシュールさん的にも?

ただ、今回は話題が「障害者」と言う少しネガティブな単語についてだが、これがノーマルもしくはポジティブな内容な場合はどうだろう?

例えば、我々日本人は「わかる」と言う意味を伝える為に様々な、表記を用いる。

「分かる」はもちろん、「解る」や「理解」や「納得」など。
※それぞれ、微妙にニュアンスが異なるが。

このことについてに、他人に口出される筋合いがあるだろうか?

また、ポジティブ(?)な例として、スラングと言うものがある。
日本には少ない文化なので、十分な理解は無いが例えば、「Love」を「Luv」と表記したり「to」を「2」と表記したりする。

これには、仲間意識の暗号的(分かる者には分かる)なニュアンスや、世代意識(特に若者意識)を含ませる事が出来る。

つまり、表記に表現者の意思を込める事が出来るのだ。
であれば尚更、他人(ひと)に口出しされる筋合いは無いのだ。

最後に、
「つんぼ」とは「耳つんぼ」の略であり、「耳つんぼ」とは「耳の穴が塞がっている」と言う状態を表した言葉が、そのままその者を指す言葉に変異したのだろう。
※ごめんなさい、僕も曖昧な知識です。

と考えると、恐らくこう言うやり取りがあったのかも知れない。
※注意!:過激な表現ですが私はこんなことは思っておりません!

「や~い!耳つんぼ、お前耳の穴がふさがってるんやないか~!耳、掃除してこいや~!」

こう言ったやり取りの結果、「つんぼ」が差別用語として認知されるようになったのではないか。

しかし、よく考えて欲しいのは上記の様なやり取りの中のどこに悪意があるのか?

それは、間違いなくその言葉を放った人間性そのものにである。
言葉自体には、なんら悪意は満ちていない。
※言葉はその状態を、表現したに過ぎない。確かに「耳が塞がっている」と言う表現は正確ではないが。

またも長くなってしまって、ごめんなさい。

なので、決めました。
この下らないやり取りを繰り返さない為に、私は「障害」に表記を戻します。

下らない事言ってくるやつがいたら、ソシュールさんからフミくんに引き継がれて、それを中途半端に受け取った知識で、論破してやりますわい。

よろしくお願いします。