毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。

 

 今回の兼題は「蛙」でした。蛙は春になると冬眠から目覚め、いつの間にか田んぼや池辺に集まって盛んに鳴き始めます。春の訪れを告げる最も庶民的な光景かも知れません。「蛙」といえば芭蕉翁の「古池や蛙飛び込む水の音」があまりにも有名ですが、それを狙って今回、凡句か、または脱凡できるかを番組の中で取り上げていたようです。

 

 よく寝たる赤子のまなこ昼蛙

(よくねたる あかごのまなこ ひるかわず)

 

 それまで「蛙」といえば、その鳴き声を詠むのが定番であって、そのような歌しかなかったところに、この芭蕉翁の句が蛙ではなく古池の音を詠んだことで、一大革命を起こしたということで名句とされている、と教わりました。しかしながら現在ではこの俳句のほうが有名になってしまって、池の水音を詠むとそれこそが平凡な句とされてしまうようになってしまいました。番組の中でもいろいろと解説していましたが、わたしは自分の感じたことを先ずは読んでみようという考えで俳句を始め、続けて来ましたから、今回も意識することなく普段どおりに詠んでみました。が、やっぱり全く意識しないというのは難しいところです。

 蛙の鳴き声でなく、池の水音でもなく、と、蛙の様子をじっくりと観察して、(正しくは、まだ今季は蛙を見ていないので、これまで出会った蛙の姿を思い起こして)詠んでみたのが今回の句です。うちの庭には毎年、一匹か二匹、蛙が迷い込んで来ます。庭の草花に水やりをしていると、葉っぱの影から跳び出して来たり、薔薇の枝の上に器用に座ってじっとしていたり、といった様子で登場して来ます。薔薇の枝にくっ付いた蛙は、事務所便りとして過去に何度か紹介しました。春の陽射しは弱くもなく強くもなくで、両生類の蛙としては最も心地良い強さ加減なのでしょう。人が近寄っても全然驚くこともなく、逃げることもしません。じょうろの水を掛けてやれば跳んで逃げるかも知れませんが、お玉杓子からやっとここまで大きくなって、春の暖かさを満喫している蛙に悪戯するのは人徳に背き兼ねません。近づいて見ると、丸い目が途中まで閉じていて、どうやら半分は寝ている様子です。今日は朝から穏やかな晴れた日で、風もなく、昼寝には好都合のお天気です。さっき小虫を食べてお腹も一杯なのかも知れません。こんな平和な春の昼下がり、蛙だけでなく人ものんびりと昼寝をしたくなります。赤子の頃は寝るのが仕事とは言え、沢山寝ることができました。そのことを忘れるくらい寝ることができていたはずなのに、大人になった今では、何やらいつも寝足りない感覚があり、寝起きも気持ちがすっきりしません。上手な昼寝の摂りかたを蛙に聞いてみたい気がします。