お正月気分がなかなか抜けない今日この頃・・・もう七草粥の日ですね。
今日から小中学校も始まりました。
今日から小中学校も始まりました。
でもね。。。
まだワタクシメのブログは、正月気分にドップリ浸かった記事が続きますよ。。。(^▽^笑)
今日の記事は、1月3日に参拝しに行った「野間大坊(のまだいぼう)」の記事です。
野間大坊とは・・・
知多半島の南部の、美浜町にあるお寺で、正式名は「鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)」といいます。
創建は、実に1300年以上前の西暦680年ごろだとか。。。
知多半島の南部の、美浜町にあるお寺で、正式名は「鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)」といいます。
創建は、実に1300年以上前の西暦680年ごろだとか。。。
知多半島内にある、88のお寺で構成される「知多新四国八十八箇所」の50番・51番の札所でもあります。
ここは、平安時代末期(1159年)に「源義朝(みなもとのよしとも)」が、長田忠致(ながた・ただむね)により暗殺され、ここに埋葬されていることでも有名です。
では、早速参拝に参りましょう。
まず、ワタクシメどもは、この地図の右端の「東駐車場」に車を止めてますので、そちらから赤線に沿って移動となるわけです。


まず最初に見えたのが、この池。。。


「弁天池(べんてんいけ)」と言うんだそうです。
所縁については、あまり記述がなくて、素通りです。。。f^^;
所縁については、あまり記述がなくて、素通りです。。。f^^;
まず到着するのは、このお堂。。。


「大御堂寺(おおみどうじ)」の本堂になります。
まずは、こちらを参拝して・・・
まずは、こちらを参拝して・・・
さらに西に向かって進んでゆきます。


梵鐘楼です。
この楼は、鎌倉時代からあるものだとかで、近づくのも恐れ多く感じます。
この楼は、鎌倉時代からあるものだとかで、近づくのも恐れ多く感じます。
さらに、進んで行き本殿前にやってきました。


本殿前があまり広くないため、全体が撮れないのです。。。
だから・・・
四国八十八箇所のお寺さんの名札のある「お砂踏み」のほうから、全体を見てみました。


本殿前のお砂踏みで50箇所・・・残りの38箇所は、本殿への通廊にありました。


もうちょっと低い位置から取るべきだったかな。。。
最後に、本殿前に「ミツマタ」の花芽がありましたので・・・


春にはどんな花が咲くのかなって思いつつ・・・
お寺の本尊さんをお参りしたので、帰り道となるわけですが・・・
最後に、「源義朝」のお墓のほうに行ってみましょう。


これは、お墓の石碑ではないです。
この門の向うにあるのが、お墓です。


門に掲げられてるのを拡大してみましょう。。。


源義朝が殺されて850年の時が過ぎてるわけですね。
こちらが、お墓の本体。


お墓に手向けられてるのは、木刀。
これに、みんな願い事を書いて手向けてます。
これに、みんな願い事を書いて手向けてます。
なぜ、木刀なのかというと・・・
長田忠致により暗殺されたときに、「我れに木太刀の一本なりともあれば」と叫んだとかって言い伝えがあったからなんですって。。。
長田忠致により暗殺されたときに、「我れに木太刀の一本なりともあれば」と叫んだとかって言い伝えがあったからなんですって。。。
今回は、「血の池」に立ち寄らなかったのですが、そういう名前の池もあるんですよ。
中学の時だっけなぁ~~
ここに遠足か何かで行ったときに見たら、確かに水が赤かったです。
その池で、源義朝の首を洗ったからとかってことから赤くなったと言う言い伝えがあります。
中学の時だっけなぁ~~
ここに遠足か何かで行ったときに見たら、確かに水が赤かったです。
その池で、源義朝の首を洗ったからとかってことから赤くなったと言う言い伝えがあります。
ここの参拝をして、知多半島を北上すると、中部国際空港があります。
このあと、昼食を食べに行ってきましたので、次回の記事はその辺で。。。(^▽^笑)
このあと、昼食を食べに行ってきましたので、次回の記事はその辺で。。。(^▽^笑)