お盆もほぼ終わったわけで、普通に仕事をされている方も多いかと思います。
ワタクシメも、連休明けってことでボチボチと仕事を始めるって感じです。

8月15日は、終戦記念日ってことですよね。
なので、ワタクシメども家族も、戦の遺構を見ようってことでこの夏より、古戦場やら太平洋戦争の遺構を見て廻ろうかって考えております。

愛知県内には、いくつかの古戦場があります
東三河に「長篠の古戦場」、名古屋市のすぐ東に「長久手の古戦場」、小牧や犬山にも戦の痕跡があるとか・・・、そして、この「桶狭間」とあります。
太平洋戦争に関しても、刈谷市の「依左美・長波無線通信施設」、東海市~大府市の「大府飛行場址」、名古屋市内でも港区野跡の水上機の滑走台など、大量にあります。

そういったものを全部廻るのも不可能かもしれないので、一部でも見て周りここで紹介してみたいと思います。



では・・・
今回は「桶狭間の戦い跡」。
「桶狭間(おけはざま)の戦い」に関する史跡は、たくさんありますが、まず豊明市にある跡から・・・
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ここは、国道一号線にほど近くにあります。
ただ、駐車場はないので、向かいにある「高徳院」にも立ち寄ると駐車場があるわけです。
その高徳院は、今回行ってなんですが、資料館もあるのでぜひまた行って見たいと思います。

ところで、この「桶狭間の戦い」ってどんな戦いだったかを簡単に説明しますと・・・
今から約450年前に、東の「今川義元(いまがわよしもと)」の軍勢と西の「織田信長(おだのぶなが)」の軍勢の戦いでした。
一般的に2万を超える今川軍に対して、2千あまりの織田軍が勝って、織田信長の勢力が強くなる発端とも言える戦ですね。

この場所の由来が、こうして表示されてました。
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ここは、そういう看板類だけでなく、庭園のような簡単な公園になってました。
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桶狭間の古戦場の案内図です。
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今の鉄道や道路にあわせて進軍のコースも描かれております。


こちらは「七石表(一号碑)です。
東軍の大将「今川義元」が討たれた場所を示しているそうです。
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これは、その「今川義元」の墓。
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ひっそりとした感じですね。

さて、次の記事では、ここで戦死した「今川義元」のここへの出撃の陣地でもあった「沓掛城(くつかけじょう)址」に行きます。




camera ・・・ SONYα100
date ・・・ 2009.8.15
spot ・・・ 愛知県豊明市「桶狭間古戦場址」



合戦の詳細については・・・wikiペディアをご覧くださいね・・・f^^;


PS
桶狭間古戦場址は、名古屋市緑区にもあります。
そちらもまた、訪れて見たいと思っております。