こんばんは!これからは、私の事はザギーネと呼びます。


お盆が終わったので亡くなった祖父の話し。


私の祖父は私が大学生4年生の夏に肝炎が元で76歳で亡くなりました。


丁度就活中だったのですが、祖父が亡くなる前日に病室で会話を交わした翌日がドラッグストアーの面接日でした。


結果はアルバイト経験者が良いとの事で経験のない私は選考脱落。


お昼過ぎに面接会場を後にして祖父の病院へ面接がダメだった報告に行きました。


祖父は喋るのも辛そうでしたが、上体を起こし、



「そこでないとあかん事はないんやから、次また受けたらええ。とらわれんと賢く生きなあかんで」と笑いながら話してくれました。


数年後私は悔しくて、国家資格になった登録販売者を受験し一発合格、販売系の資格であるリテールマーケティング検定2級を受験合格し、2つとも討ち取りました。



私は幼少期から、お爺ちゃん子だったので小学入学までは祖母宅で暮らしました。


妹が生まれてからは妹は親戚から可愛がられ、私は構ってもらえる事が少なくなったのですが祖父母だけはいつも気にかけてくれました。



小学生2年生の夏休みだったと思うのですが、親戚のお姉さんが結婚してパーティーをする事になり母と妹が出掛ける事になったのですが車の定員上、私が残される事になりました。



なんか、悔しい気持ちで祖父が飼育している金魚の水槽を見ていたら、祖母と店番を変わった祖父が2階に上がってきて、



「金魚は好きか?今から、お爺ちゃんと金魚屋さんに行こか!」と頭を撫でながら話してくれました。


真夏の昼間から出掛けたのですが、出掛ける前に祖母が私の頭に麦わら帽子を被せてくれて、お茶の入った水筒を首からかけてくれました。



自転車に私を乗せて、汗をかきながら隣町まで連れて行ってくれた祖父。


ピアノの発表会には最前列で待機して写真を撮ってくれた祖父。


絵画コンクールで優勝した時、展示場所まで一緒に行ってくれて写真を撮ってくれた祖父。


寝ている幼い私の写真を撮ってくれていた祖父。


祖父の葬式で、祖父の御友人の方から伺うと、


「お爺ちゃんはな、ザギーネ君が生まれた時1番喜んでたんやで!ずっと初孫のザギーネ君の話ばかりしてた。写真が趣味のお爺ちゃんやからいっぱい写真撮られたやろうけど満足しとるんと違うか」


と言われた時、その場で泣き崩れてしまいました。



祖父は動物想いで、当時は野良犬も多く保健所の方が対応していたのですが、1匹祖父母の店先を徘徊する犬を噛まれながら保護した時の事が印象に残っています。


私が口輪を嵌めようとすると、祖父は、


「人間に慣れさせなあかんから、止めろ!怖がらせるな。」と言っていて、人間不信で震える犬を噛まれながら落ち着かせていました。


それから、その犬は私の自宅で9年間暮らしました。



祖父が亡くなったのは深夜日が回った頃、深夜1時過ぎに自宅の電話がなり、担当医の方から、


「合わせたい人がいれば連絡して下さい」と言われた祖父に付いていた叔父が電話をしてくれて、両親と妹で病室に入りましたが、既に亡くなっていました。


叔父からすると父親が亡くなった訳ですが、泣きじゃくる従姉妹兄弟と私の母、妹を案じて気丈な態度でいたのを見て凄く尊敬出来る人だと思いました。



従姉妹兄弟、妹が病室で祖父の側で泣きじゃくるのを聞いていると祖父との思い出が沸々と湧いてきて、男子便所で私は1人で泣いていました。



父親が気づいた様子で男子便所に後から入って来て、


「大丈夫か?」


と肩を叩いてくれました。





祖父母が幼い母、母の兄である叔父を育てながら駄菓子屋を経営して生活の思い出が沢山詰まった家を、祖父の兄の息子が取り壊してしまいました。


先日のマンション管理の叔父とは別の叔父です。



祖父の先代から遺してくれた土地、建物も貪る様に金に変えて、キャバクラや風俗の遊興費に費やした、腐った叔父。


わざわざ弁護士を2人立て、事細かく土地の権利移動の正当性について書面を作成し、親戚一同に記名捺印を求め、母と兄である叔父を孤立化させてきました。


土地や売買価格は総額で6億5千万の価値が有りました。


祖父が亡くなった後の事ですが祖父はきっと反対したと思います。



不動産関係の資格を取得するのは祖父の想いの為、無知な叔父にマウントを取る為でもあるのです。



読んでいただきありがとうございました。