今日は「すべては自分次第」という言葉について考えてみようと思います。
「すべては自分次第」という言葉を聞いてまず思ったことは、自分次第でなんでもできるなということです。
ある程度のことだったらなんでも願望実現できるやんと思いました。(オリンピックで金メダル取るとかは無理。そもそも望んでいない(笑))
自分次第で痩せた体型を肉体改造できる。
自分次第で収入を上げられる。
自分次第で友達を作れる。
自分次第で仕事を楽しくできる。
自分次第で憎しみの感情から解放できる。
自分次第で自分の世界を広げられる。
自分次第で恐怖に打ち勝てる。
自分次第で喜びの世界に移行できる。
自分次第で悩みを解決できる。
自分次第で毎日ご機嫌に生きられる。
事例はいくらでも作れますが、自分次第である程度思い通りの人生にできるんだなぁと思いました。
「すべては自分次第」
「すべては自分次第」
「すべては自分次第」
なんていい言葉なんだろう!
自由に自分の人生をクリエイトできることは素晴らしい。
自分次第で苦しみから解放されることも素晴らしい。
でも「すべては自分次第」を言い換えると「すべては自分のせい」「すべては自分の責任」となる。
こうなると少し厳しいかもしれない。
よくよく考えてみたら、今まで母親のせい、環境のせい、過去のせいにしてきた。
「すべては母親次第」「すべては環境次第」「すべては過去次第」で生きてきたと今、言語化できた。認識した。
なんとまあ不自由な人生を送ってきたことか。
自由が全くない。
心も人生も不自由。
母親、環境、過去に振り回されてきたなぁ。
でも、母親や環境のせいにしていれば楽だよね。
責任取らなくていいから。
自分も変わらなくてもいいし。
そのことも楽だよね。(現状維持は楽)
「すべては母親次第」「すべては環境次第」「すべては過去次第」を選択し、人や環境や過去の責任にし、人や環境や過去のせいにしてこれからも生きていく、不自由に生きていく。
あるいは「すべては自分次第」を選択し受け入れ、すべてを自分の責任、すべてを自分のせいにし、自由に好きなように人生をクリエイトしながら生きていくの2択だと思う。
どっちがいいのか?
答えは決まっている!!
でも今まで自分以外のせいにして生きてきた。
簡単に「すべては自分次第」へ移行できるとは思わない。
しかし、自分の望み通りの世界に行くには、自由になるには「すべては自分次第」を習得するしかない!
「すべては自分次第」を習得することも自分次第!
今日も最後まで読んでくれてありがとう!