生来、私は怖がりである。間違いなく「小心者」と言える。

 子どもの頃は、暗い場所(特に夜中のトイレ、そのころは「便所」という言い方がぴったりで、裸電球でかなり薄暗かった)、ひとりぼっち、高い所、狭い所、尖ったもの、心霊話、それに犬・猫・昆虫といった生き物全般が怖かった。(今ではかなり改善し、生き物は大好き)

 幼い頃から慣れ親しんできた自然だってそう。大好きだが、同時に一番怖い。

 私たち人間はどうしても自然の中では弱い、ちっぽけなものだと思う。どんなに頑丈な家を建てたとしても、どんなに強固な斜面にしても、自然災害をまともに受ければ一瞬で破壊されてしまうからだ。私はそうした災害に巻き込まれたことはないが、テレビなどで災害の映像を視聴する度にそう感じる。

 でも怖いものであるからこそ、魅力を感じ、畏怖の念を抱き、その中で満喫したいと思うのだろう。

 30年ほど前、対馬で愛犬と一緒に山登りをしたときのこと。地元の人に「しっかりとした獣道に近い、人の作った道があるから行ってみるといい」と言われ、朝から手製の弁当を持って出かけた。愛犬と戯れながら進んでいて、頂上に到達することなく、途中で完全に迷ったことを自覚した。

 道がなくなり、大きな鹿にも遭遇した。数時間ウロウロし、パニックになりながら、夕方近くになった。ようやく辺りが薄暗くなって、道路に出た。暗くなってからやっと車が来た。ヒッチハイクして事情を話していると、出発した所とは反対側だった。何とか家路についた。
                      
 15年ほど前、家族と甥っ子を連れて近くの小さな島の海水浴場にキャンプした時のこと。他に客はおらず、プライベートビーチ状態を満喫。だが、夕食後暗くなってから突然の大雨。「それも経験」と高をくくっていたら、今度はひどい落雷!子どもたちは恐怖で顔をひきつらせていた。私もかなりの恐怖心はあったが、家族の手前、無理やり余裕のある笑顔で、「撤収しようか」と近くの小中学校の体育館の外屋根の下まで移動し、一晩を過ごした。

 どちらも気が気ではなかった経験。一歩間違えば遭難したり、事故に遭ったりしていただろう。ただ、恐怖は感じたが「自分が落ち着いていれば、何とか乗り越えられる」という思いが頭の中に浮かび、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせた。平然とした態度となって乗り越えたように思う。

 今でも思いはほぼ同じ。怖いと感じながら用心深く野山に入っていく。磯へ出かけていく。ただ、自分が落ち着き、守るべき人がいる時には少しは強くなれるとも思う。

 怖いと思うことは大切なことだと思う。今でも怖がりな私、どんなに慣れた作業をしているときでも、道路を普通に歩いているときでも、ふとした油断からけがや事故が起こるかもしれないと思いながら過ごしている。

 小心者の私だが、怖いと感じることは悪いことではないと思っている。むしろ必要なことだとも思う。特に大自然に対し、常に畏怖の念を持ち、安易に考えず石橋を叩いて渡るような気持ちで接し、寄り添いがら楽しんで生きていきたい。