教員時代、家庭訪問は1学期の私にとって一大イベントだった。

 というのも、担任を受け持った早々、その子どもたちの保護者とほぼ1対1で接し、担任早々短い時間のうちにその子のことを自分なりに理解し、学校での様子を伝え、保護者の思いを聞き取り、自分の考えた教育観を伝えるのだから、緊張感はすごかった。

 4月~5月のうちに行われていたこの行事、私自身担任として最大39人の子どもたちを受け持ち、一日に12件の家庭を訪問したことがある。午前中は授業をし、午後から回っていくのだが、最後は夜8時を超えたこともある。今ではありえないのだろうが、勤務時間内に終われなかった自分の力量もあったと思う。

 これもまた今ではあり得ないことなのだろうが、独身時代は最後の家で晩ご飯を食べていったこと、酒を飲んで送られていったことも多々ある。(30年以上も前の話、時効として受け取ってほしい)

 でも、家庭訪問は年配になってから、大切な行事だったんだと改めて思うようになった。

 もちろん保護者との距離が近くに感じることができるようになったということもある。でもそれだけでなく、担任するその子どもを理解する上で、家庭環境と家の周りや実際に地域の雰囲気を肌で感じることが役に立ったと思うことが多いからだ。それに気付くようになってから、自分の中で家庭訪問はとても大切なことだと位置付けるようになった。

 特に支援の必要な子どもとかかわるようになってから、保護者だけでなく、その子の住む近所の方々との関係性や生い立ちなどの生育環境を知り、今のその子の形作るものであり、未来を模索する大切なカギとなると思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 自分なりに思いを持ち、退職して障害のある方、子どもたちの相談支援専門員をするようになった。教員をしてきて学び、感じてきたことはこの仕事に活かせるとても大切な財産だと思っている。その方の生活してきた人生を少しでも理解するためには、生活してきた家庭や地域の環境を知ることで支援に役に立つ。そのために私は家庭訪問を行うことを重要な位置を占めると思っている。

 現在は「働き方改革」という方針が国策として勧められるようになった。どんどん膨れ上がる教員の仕事について整理していくべきだと私自身も実感していた。教員を辞める前もぜひ進めていくべきだと思っていた。しかしながら、その中に「家庭訪問の廃止」を打ち出した学校や教育委員会も多いと聞く。

 所属する自治体の主任児童民生委員として、定例研修会で家庭訪問のことが話題になった。最近では先生方の負担を減らすという意味でも家庭訪問を廃止して保護者を学校へ呼び、「3者面談」などの形に変えて実施することが多くなってきたと聞く。でも、それで子どものことを本当に理解できるのだろうか?

 今回は自治体の「子育てこども課」という家庭支援を行う行政の方にも参加してもらい、一緒にこのことを考えていただいた。家庭訪問はその家庭を理解し、支援を行っていく上で「必須事項」であることも話された。考えてみれば当然であろう。

 激務である教員としての仕事、34年間自分もやってきたからよくわかる。仕事内容について整理し、縮小していくことは必要なこと。でも家庭訪問はなくすべきものではないと私は思う。    

 これまで行われてきたいろいろなことの中には考えてみれば「無駄」なこともあり、整理されるべきものも多いと思う。でも、その一つ一つの意義を考え直してみて、残すべきかなくすべきかをしっかり検討してほしい。

 最近、いろいろなことについて改めて自分なりにじっくり考える時間がある。勝手に私見を述べている自分がいる。「老害」と受け取られるような言い方でそれを押し付けようとは思わないが、大切な話題として検討してもらえたらと思う。