申し訳ないと思っているが、私は人の顔を覚えることが大の苦手。

 おそらく、事件が起きて警察から目撃情報を情報収集のための質問をされても、その人がどういう風な人相かを全く答えることができないだろう。

 というのも、子どもの頃から人の顔を見ることがなぜか怖くて、指導を受ける時も正面より少し横を見ていることが多かった。「きちんと先生の目を見なさい!」と言われてもそれが苦手で、見ても一瞬しかできなかった。(当然のことながら、いつも接していれば友だちや担任の顔はしっかり覚えてはいる)

 大人になってからは、教員として子どもや保護者の顔を覚えることがすごく大変だった。(同僚の先生さえ、簡単には覚えられなかった・・・)新任の頃は「1日で覚えなさい。それが無理なら最低3日で子どもの顔を名前を覚えなさい」とベテランの先生に指導を受け、かなりのプレッシャーを感じた。必死で覚えようと肝に銘じた。実は、退職するまで毎年の課題だった。

 子どもたちは顔の特徴だけでなく、その子の兄弟、環境や性格などをセットにすると何とか覚えられるようにはなった。でも、ときどきしか会わない保護者はかなり苦労した。また、お母さんの顔は覚えられても、めったに会わないお父さんの顔はかなり至難の業に感じていた。

 それは今も同じ。

 先生方や地域の方々には道で逢ったときに声をかけられると、わからないことが多かった。話しかけられて「誰だっけ?」と思いながらその場は何とかやり過ごすものの、一生懸命に思い出し、申し訳ないが後で「ああ、あの人だ!」と思い出し、その方とのことの思い出にふけることも多い。

 教え子たちの顔は雰囲気で思い出せる。きょうだいや学校もすぐにわかる。ただ、年齢のせいか、名前が出てくるのには時間がかかるが・・・。

 相談支援専門員をしていると、利用者だけでも現在100名、様々な相談に乗っている方も含めると150名以上になる。更にその保護者、関連した様々な職種、事業所の方と出会う。研修会や会議でもたくさんの方と接し、話をする。一生懸命にその方の名前と顔を覚えようとするが、特に初めて会う方の顔をまともに見ることができない私は、名前とプロフィールはしっかりと覚えてはいるのだが、2~3日するとその方がどんな顔だったか、忘れてしまっている。現在進行形での格闘の日々。

 特に最近ではコロナ禍。人と接するときにはマスクをしていることもあり、姿形、目から判断するしかないので、困難を極めている。私はできるだけマスクを一瞬外して顔を見せることにしている。ただ、相手の顔の拝見は強制できない。

 自閉のある方は視線を合わすことが困難な人が多いが、その方にとって印象に残らない人は覚えられないということはわかるような気がする。

 だから、「私のこと覚えていますか?」と聞いたときに「わかりません」と答えられたら、その方にとって印象に残っていない存在なのだと考え、しっかりとこの方はこういう人という意識を持って覚えようと思う。また、同時にその方に私を覚えてもらうことは「自分の印象や力量を測るバロメーター」だと勝手に考えながら話をしている。

 「人の顔を覚えられないのは失礼なこと」と受け取られても仕方のないことなのかもしれない。でもこれが紛れもない自分自身の特性。素直に「ごめんなさい」。しかし、これまで自覚し努力してきたのだから、今更もっと努力しても変えられないとも思う。

 一見マイナスとも思える自分自身を、「まあ、いいやん!これも自分自身なんだから」と開き直って受け入れている。こんなこともポジティブに考えながら毎日を過ごしている。