自己主張の強い私。幼い頃や若い頃ははどちらかというと自分の意見を話すことの方が多く、人の話をしっかりと聞くということは、かなり苦手だった。

 また、落ち着きのないあわてんぼうでもあったので、人の話を最後まで聞くこともできず、早合点をして失敗も多かった。授業中は勇んで手を挙げ、考えがまとまらず、「忘れました!」は多かった。

 そんな私が小学校の教員になった。子どもたちの話に耳を傾けること、子どもの様子から意思をくみ取ること、それは教師の基本的な姿勢として自分でも常に言い聞かせてきた。でも、教員という職業、私には子どもたちに「教えたい、伝えたい」という思いが強く、一方的に話してしまうことが多かった。すぐに、「こうしたらいい」というアドバイスが出てくることが多かった。意識しないまでも強制的な指導をしてしまうこともあったように思う。

 そうした自分だったが、特別支援学級を担任して支援を必要とする子どもたちにかかわるようになってから、少しずつその姿勢は変わっていった。

 知的発達・情緒発達に課題を抱える子どもは自分の思いをしっかりと言葉で伝えることが難しい。始めのうちは聞いてあげることよりも、その子にとって力をつけるために必要だと思われるスキルを繰り返し教え込むことに躍起になっていた。

 でも、この子たちにも自分の思いがある。自分の思いをうまく言葉で伝えることが難しいからこそ問題行動と思われるようなことに現れてしまっている。そうしたことを理解した時、じっくりと待ちの姿勢で子どもの声を聴くこと、行動観察から意思を探ることの大切さを悟った。

 通級指導教室を担当するようになってからは、「教える」というよりも、その子の行動を振り返って考える時間を重視するようになった。ソーシャルスキルトレーニングを企画する上で、問題行動を起こしたことを攻めるよりも、その子の言い分を聞き、「じゃあ、どうすればいい?」とその子自身が一歩踏み出すことを考えさせることが一番大切だと導くようになった。

 年齢を重ね、いつしか教員としても保護者や先生方の相談に乗る立場になった。でも、聞く姿勢を持ちながら、指導するつもりはないのだが口出ししてしまう自分がいた。大人の方にはどうしても気を使いながらだが、意見してしまう自分を自覚していた。

 相談支援専門員という仕事を始めてからは、これまでの自分を振り返りながら、どういうスタンスで臨むべきかを今でも常に試行錯誤している。

 支援を必要とする方々は自分の考えを十分に言葉で表現することが難しい。知的障害や精神障害があるならなおさらだ。支援する側が勝手に良かれと思ってその思いを誘導してしまうことも多い。

 この方々と接する時には、しっかりとその意思をくみ取っていくことが大切だと考えている。教えるという考えは持たず、しっかり聞いて自分なりに解釈をして尊重する。その上で助言、提案をすることを心がけている。それが「支援」という姿勢。決して強制はしたくない。

 保護者や事業所の方々にも、基本的に同じ向き合い方をしている。でも場合によっては私なりに意見を伝えることが必要だと感じ、思うことを伝えている。大切なことは、常に自分の意見を持ち、その方の希望する未来のために連携していくことだと考えているから。

 自己主張、自分の思うことを発信すること。これは私の性分であり、修正することは難しいだろう。むしろ自分の長所として活かしていきたいと思っている。その上での相談支援の仕事。しっかりと利用者や保護者、施設側の相談に乗りながら、私なりのスタンスを確立していきたい。

 年齢だけは重ねてきているが、まだまだ人生は発展途上、学ぶべきことが多いということを意識しながら、今を生きている。