「かわいい!」

 日本語として世界へ発信されたこの言葉、私には純粋無垢な人の表情や仕草を見て感じることでもある。

 以前、研修交流を希望して養護学校(現在は特別支援学校)へ2年間勤務したときに、ある若い女性の先生が子どもたちの姿を見て「かわいい!」といつも言っていたことを思い出す。純粋な眼差しで見つめているその先生の発言を聞いて、素直に納得したのだった。 

 よく考えてみると、私も同感。最近でも、幼い子どもや知的障害のある人と接するとき、私はその人のことを「かわいい」と感じることがよくある。

 受け取り方によっては大人の方に対して「失礼」なことであり、「上から目線で見ている」と思われるかもしれない。しかし、純粋な仕草や表情、笑顔を見ていると、自分が癒され、心が洗われるようるような気がして、思わず自然に微笑んでいる。

 そこに他意はないと思っている。

 でも、かわいいと感じることってどういうことなのだろう?

 ウイキペディアによると、「可愛い(かわいい)は、日本語の形容詞で、いとおしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし」と感じられる場合に用いられる。」という。

 また、「現代においては、主に若年層が人物に対して「かわいい」と表現する場合、対象者の年齢・社会的地位などに対する敬意表現はほとんど考慮されず、目上の高齢者や成人男性、場合によっては、神仏の像や天皇に対して使用される例も散見される。これは「愛すべき」対象の適用範囲が、単なる外見にとどまらず性格やイメージに関してまで広がったことにより、対象に対して敵意を抱く要素や威圧的な要素がなく、自身の心を和ませる美点を持つと判断された場合に使われるようになったことによる。」とも記されている。

 要するに、直感的に感じる好意的な感覚なのだろう・・・。

 私が「生き物が好き」という思いもたぶん共通している。イヌやネコ、ニワトリ、昆虫、そして植物たちにおいても。
  
 考えてみれば、小学校教諭として34年間やってきたのは子どもたちを「かわいい」と無条件に思えたからなのだろう。そして、さらに障害や支援を必要としている子どもたちの教育に22年間、里親として10年間かかわってきたのも、ずっとそうしたことを感じてきたからなのだと思う。だからこそハードな仕事だと思う中でも、こうした思いを持つことで癒しを感じながら楽しんでやってこられたのかもしれない・・・。

 そして今は障害のある方の相談支援専門員として、対人関係の職業を選択し、かなりのストレスを感じ悪戦苦闘しながら、何とか日々を楽しみながら生きている自分がいる。ストレス以上に、利用者の笑顔を見ることができることで、こうした思いを感じる。それがあるからこそ、私は仕事にやりがいを感じているのだろうと、今更ながらに思う。         

 「かわいい」と感じる方々の笑顔と喜んでいる姿を見ること、私には癒しと仕事の達成感を感じることができるのだ。

 「人は、かわいい、かわいいものですね~」(「愛燦燦」小椋佳)

 

 大好きなこの歌をよく口ずさみ「天職」と感じながら、現在の日々を送っている。

 

 こうしたことを考え、人生を楽しんでいる自分がいる。