行基と鑑真 | SKG研

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空海が出家して山中で修行する前に。
行基か役行者を目指していた発言があったらしい漫画をみた。
そんな、空海が尊敬する行基菩薩。
最澄が天台密教を唐から持ち帰る前に鑑真が日本に伝えていた。
この二人を研究すれば奈良時代の庶民の生活や気持等が分かる。

私なりの行基の推察

①仏教だけではなく、土木工学の知識を学んでいた。
治水利水も道路や橋、港湾に至まで設計ができる。
工事監理もできる。
でなければ、お粗末な工事をしていたら世間から野次がとんでいた。

行基のお陰で奈良の都は田畑が上手くいき、物流も上手くいき、GNP国民総生産は向上したはず。
 

↑それは、師匠のお陰とありました。


そして、行基が大僧正になったのは、聖武天皇の大仏を建立した立役者だったこと。
鋳造技術を行基は知っていたからだ。
少なくとも砂で木で鋳型を鋳型を作ることも知っていたはず。
 


中国やシルクロードや海外のスフィンクスなんかは遺跡石で出来ているが。
東大寺の大仏は鋳物だ。
昔は金箔が施されていたとか。
そうなると、足場仮設の荷重設計施工も必要になるが?
行基はその知識をどこで得たのか?
当時は遣唐使もあっただろうからだけど。
盛んに遣唐使がでてくるのは、光仁天皇の時代だからね。
聖武天皇から孝謙女性天皇から淳仁天皇から称徳天皇(孝謙天皇)から光仁天皇と冠山天皇のの時代がよつのふねの遣唐使盛ん時期だからね。

鑑真は最澄が伝える教えを伝えるわけだけど。
違いはなんなんだろうね。