腰の痛みが抜けない。おそらくの原因は以前やっていたパチンコ屋でのアルバイトだと思う。かなり深刻で、決定的に激痛が走るというわけではないが、ストップ動作だったり衝撃がかかると鈍痛がやってくる。現在整骨院で針治療、酸素カプセルなどを含めマッサージ治療をしている。しかし少し良くなった程度。ランニングやトレーニングなどを調節して温熱治療し、粘り強く直していくしかないかと思う。
- 前ページ
- 次ページ
学部の同期はそのまんま国原知事、大学の後輩は桑田と言い張ってます。私です。
昨日はオールスター中断前最後の東京ドームでの巨人ヤクルト戦を見に言ってきました。
それにしてもヤクルトは早稲田が多い。
スタメンの青木、田中はもちろん、代打で出た武内もと3人出場。
巨人の越智もそうですね。
武内、越智はもろ六大学見に行っていた時代でバリバリやってたからすごい違和感がある。
当時キャプテンで3番ずっと売ってた武内が代打要員、
なんか頼りなかった越智が巨人の中継エースなんだから。
スリーアウト目の中飛を取ってスタンドに投げ込もうとしたら、距離不足で届かなかった青木先輩はマジお疲れさまでした苦笑
自分はなんにも偉くないが、これだけ校友が活躍してくれるのはうれしい限り。
性格がひねくれてるので青木のファンサービス失敗と言い、
前の子供のうるささや、
後ろの席の人がこぼしたコーラが流れてくる憂き目が気になり野球そのものにあんまり集中できませんでした。
ってかきっと僕が来たからジュースがこぼれてきたのであり、
徳低き僕がいなければこんなことにならなかったでしょう。
周りの方々生きててすいません。
じつに14年ぶりくらいの東京ドームでした。
その前は祖父と来たファイターズ戦です。
まだ北海道ではなく、東京ドームが本拠地の、ジャイアンツじゃない方のパリーグの球団日本ハムだったころです。
Bクラスが指定席。
当時は小笠原がキャッチャーをやっていました。
偶然今回も小笠原がいました。
彼は巨人軍のクリーンアップにキャリアアップを果たしていました。
ジャイアンツの新人25歳長野君は同い年ですが、世界のHONDAという超一流企業から読売巨人軍という破格の中途採用に合格した勝ち組です。
片や僕はこの間ずっと大学生。
本日も相手方の人事の方が気を使って僕だけ学年を言わないでくれました。
憐れみです。
いっそのこと思いっきり言ってくれればよかったものを。
生き恥です。
注目されない環境で努力していくのは非常に難しい。
正直今までが恵まれすぎていたかもしれない。
凡人かそれに毛が生えた程度のパフォーマンス能力しか持たない自分に対して、
数百数千人が見てくれるステージはざらで、多い時は1万人弱の観客の前に立ったこともあった。
深さはどうか知らないが交友範囲はそれなりに広くて、mixiなどを通じて自分の挙動を常に数百人が見てくれる環境がそこにはいつもあった。
そういう環境からいざ離れてみると、非常につらいな。
特に結果が出ないことが辛い。
すごく調子乗るなと自分でも思う言い回しをすると芸能界引退したあとの芸能人とか、会社を退職した後の社長とかって大変だろうな。
まあ人徳しだいなんだろうけど。
でも徐々に出も構わないからそういう環境でも生きていけるような準備をしていかないといけないな。
特に自分は一企業人としてはスターダムで仕事をさせていただけることはなさそうだ。
人の目に触れない場所で人一人としてまっとう普通にやって行くよう自分を染めないといけない。
おごりがあったのかなかったのかこんな道に至るとは考えもしなかった。
普通とは卑劣なもんだな。