被害者意識を持っている人は、  

幸せにはなれない世界に生きています。



人に何か言われて

傷ついた、という感覚がある人は、  

被害者意識を持っていると思って下さい。




私も凄かった、

いちいち傷つくし、

いちいちビクビクしていました。




人に言われて、傷ついたと感じる=アダチル




私は最初にこの方程式にしました。




そりゃまともな育ちをしていないので、

アダチルですわな。



そして次に、  

傷ついたと感じた時、


これは傷ついてる訳ではない、

傷ついたと勘違いしている。


と自分が感じている事は、  

勘違いなんだと見直すようにしました。



傷ついたと思ったままだと  

そこでその出来事は完結してしまい、

『傷ついた経験』として残ってしまいます。



それを自分の都合のいいように

解釈する癖をつけました。



嫌われたと思っていた事も、  

解釈次第でいかようにも変えられるのです。



起きている出来事は、  

ただ起きているだけで、

  

そこにつける解釈は、  

その人次第なんです。



先日、生徒さんに面白い事を言われました。



その生徒さん、  

私の初めてのセッションで泣いたのだとか。

(いつものことなので覚えていない。笑)



寄り添うどころか私、  

『それ、嘘だから』と言ったのだとか。笑



普通の人は、  

悲しかったね、だとか、  

辛かったね、だとか返ってくると  

当たり前のように思いますよね?



そんな事を飛び越えて、  

泣いてる人に向かって、

それは勘違いだと言ったので、


頭がプチパニックが起きたのだとか。




イラっとしたけど、  

数日して、確かに。と思ったのだとか。




そりゃそうです、  

人は傷つくように出来てません、

傷ついたと感じたのはプライドですから。




皆さん、  

厳しいと思うのは自由ですが、  

慰め待ちをどこかでしている人は、

  

被害者意識がエサになってます。



優しくされたいのは

わかりますが、、、


それ、いつまでやると思います?




癒されたい人は、  

癒されてない前提があるので、

終わらないんです。



私が死ぬほどやったのでわかりますタラー




3年間毎日癒しても、  

ぜんぜん癒されてませんよ!と言われた衝撃。




こんなに頑張ったのに〜という自負も  

自己実現においては何の意味もないんです。




癒されたい、認められたい、

優しくされたい、慰められたい、


たい、たい、たい!は、  

止まる事を知らない底なしの欲求なのです。




お金持ちになり『たい!』も同じ。




『たい』は、  

永遠に『たい』まま。




もう私は傷つかない!



と決めないと終わらないんです。




あなたが叶え『たい』願いも、  

恐らく被害者意識を終わらせないから、

  

いつまでもたいたい思ってるのかも知れません。




もう大人なんですから、  

いつまでも過去を引きずって思い出してないで、

そろそろ二本足で立つ勇気、

持ってみてはいかがでしょうか?




そうは言うても、と言う人は、  

変わる気がない人ですよ?




ここに覚悟が必要なのです。




幸せになるにも

勇気が必要なのです。




被害者意識を止める勇気、  

あなた次第なのです。




傷ついた経験がたくさんある人は、  

本来は強い人ですよ?




それに耐えうる魂という事なのですから。




執着して捨てられないだけです、

傷つくと決めてるのはあなた。




やめようと決めたら、

今すぐやめられるし、


一瞬で幸せになれます。




信じるのもあなた次第!!




私は、

光そのもののあなたしか見ていません。




差があるほど、  

衝撃発言が多い事でしょう。




寄り添う必要がない、  

だってあなた、そんなもんじゃないでしょ?




だから子供のあなたにとっては、  

スパルタに感じるのです。




あなたよりもあなたを信じています。