決行と解放。 | in the pool

決行と解放。

もはやどうでもよくなっていた。

ついに明日、決行する。
まだ実感は無いが、それでも少しはどきどきしている。
これですべてが変わるという意識改革は無い。
自分は地下での生活が向いていると思う。
何にもせず過ごすことにもう罪悪を感じなくなった。
迷惑をかけても罪悪を感じない。

むかしから、待たなきゃいけない時間がすきだ。
インスタントラーメンを待つ間とか、病院の待ち時間とか、
採用までの期間とか、試験結果までの期間とか、
お風呂に浸かっている間とか、目的地に着く間とか。

間に何か出来る場合もあるが、
その時まで待つしか無いという時間空間がすきなのだ。
時間から解放された気分がする。

何にもしなくて駄目になったかと思ったら、
別段だめになったわけではない気がしてきた。

基本的に自分には変わりないという
至極当たり前の前提が存在している時点で、
私は変わるわけない。

脳が全部変えた様な気にさせるし変わっていない様な気にさせているだけだ。
そうなると変わるとか変わらないとかどうでもよくなってくる。
でも、そんな風に全て単純に処理できるように世界は成り立っていないから、
変わったり変らなかったり思いたくなる。それには刺激が必要になる。

刺激を放棄すると地味になる。
私はこの道路を歩いているだけの人間になる。
いつも通行人が何を考えて今歩いているのか想像するのだが、
今、逆に自分の頭の中を覗かれても何も無いだろう。
地味になる。地味も悪くはない。

そうだ、明日決行するんだった。
何の関連性もない、自分だけの決行日はわくわくする。