手話ビジネスのシュアール代表 大木洵人のブログ-20100117nasu

今日は、私が事務局長をしている関東聴覚障害学生懇談会の講演会でした。今回の講演会では、NHK手話ニュースのキャスターとしてもお馴染みの那須英彰氏をお呼びし「手話と表現力」というテーマで講演をして頂きました。那須英彰さんは、山形県出身で、2歳の時に高熱を出し失聴、地元の聾学校に通い、発声練習をしたそうです。その後、筑波大学附属聾学校、青森大学を経て、日本ろう者劇団に入団、現在は日本ろう者劇団を退団され、NHK教育テレビ『手話ニュース845』キャスターや財団法人全日本ろうあ連盟手話研究所研究員(手話確定普及部)など様々な活躍をされています。最近では、デフライフジャパンの副編集長をされているそうです。

今回の講習会では、「手話と表現力」に関して、今昔の手話や手話のきれいな表現方法、場面による手話の使い分け等について講演して頂きました。
まずは、今昔の手話の違いについてです。例えば、「会う」という手話は現在は、両手の人差し指を立てて、一方を手前に、もう一方を外側にして向かい合わせた状態から互いの手を近づけることで表現します。しかし、明治時代には今の指文字の「も」と同じように、片手の親指と人差し指を離して、それをくっつけることで表現していたそうです。また「いつ」ですが、今の手話表現では両手を胸の前で上下に構えて、指を一本一本折ることで表現します。しかし、昔は「日めくりカレンダーをめくる動作」と「いくつ」の組み合わせで表現していたそうです。しかし、日めくりカレンダーが減ったことで手話表現も変わったそうです。このように手話が移り変わった背景には、現在の鳩山由紀夫総理の祖父、鳩山一郎総理が口話教育を推し進めたため手話が全面的に禁止され、ろう者が隠れて手話を使用していたためだとされています。学校教育で手話が使われなかったため変化が起きたそうです。また、口話教育は別の形でも手話に変化をもたらしました。例えば「名前」という手話は、片手の親指を立てて、もう片方の手を胸の横で開き、そこに二回、親指を押す動作(印鑑を押す動作)で表します。しかし、昔は親指を一回しか押さなかったそうです。それが口話教育により「名前」の音のリズムに影響され、二回押すように変わったそうです。他には、木工や理容などの影響により生まれた手話もあります。例えば、スムーズと言う手話は人差し指で、ほほの揉み上げのあたりから口のあたりまで撫でて表しますが、これはひげを剃る動作から来ています。
その後、戦争について説明を聞いたのですが、ここで衝撃を受けました。手話はイメージを作って話をするので、本当にその様子が目に浮かぶのです。戦艦大和の手話など、文字や音声では伝えきれないリアルさがありました。空爆から逃れる人、爆風で飛ばされた人の話などは、あたかもそこで起きた出来事を目撃した気持ちになります。手話による表現の面白さを、改めて感じました。本当に鳥肌が立ちました。
その後は、手話の表現トレーニングとして実際に講演を聞きに来ていた人も交えて実践を行ないました。一つ一つの手話の繋がりを大切にし手話ポエムを表現することや、同じ手話を様々な感情で表現すること、リズムを付けることで話しの深刻さ等を表現する方法を学びました。卒業式でお馴染みの「ほたるの光」の手話歌も披露して頂きました。歌詞の流れとは違いますが、ストーリーがイメージとして自然と飲み込めるので、まるでプロモーションビデオを見ているようでした。
最後に、手話ニュースについても講演して頂きました。手話ニュースでは、深刻なニュースでも感情を表に出さずに表現することが大切だそうです。実際に、原稿を見せて頂き、手話ニュースではどのように表現するのかをレクチャーして頂きました。また、ドラマなのか、映画なのか、劇なのかによって手話の表現の大きさ、速さなどがどのように変化するのかついても話して頂きました。手話にとってリズムはとても大切な要素で、怪談を手話通訳を介して聞いても(見ても)怖くないのと同じで、話しにはタイミングがとても重要だと言うことを改めて体感しました。

とても、充実した90分でした。手話で行なわれた講演を文字にするのはとても難しいかったです!わかりにくい文章で、本当に申し訳ありません。今後は、手話で聞いたことをどう文章で書くかについても練習が必要そうです・・・。頑張ります!!