鈴木明子 摂食障害から立ち直って | フィギュアスケート研究本

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012100602000110.html

摂食障害 専門施設を 鈴木明子さん 完治に3年

2012年10月6日 朝刊東京新聞

 若い女性を中心に患者が多い「摂食障害」の治療や研究を専門的に行う中核施設の設立を目指す動きが出ている。患者は一九八〇年代から増える一方だが、いまだに公的な専門治療施設はない。当事者や家族らが参加した五日の講演会では、元患者のフィギュアスケート選手、鈴木明子さん(27)のビデオメッセージを上映し、専門医の養成や当事者を支える「摂食障害センター」の必要性を訴えた。 (小林由比)

 「どう食事をとったらいいかわからなくなっていきました」。鈴木さんは映像の中で、症状に苦しみスケートができなくなった体験を振り返った。
 愛知県豊橋市生まれ。名古屋市の高校卒業と同時に親元を離れ、二〇〇三年に東北福祉大の仙台のコーチの元へ。見た目の美しさも重視される競技で、「やせていなくては先生に見放されてしまう」という思いが強くなった。気が付くと食事がとれず、一カ月で十キロも体重が落ちた。
 実家に戻っても、心配してくれている母親が出す食事も受け付けられず衰弱し、体重は三二キロに。「三〇キロを切ったら入院です」と医師が警告するほど深刻になった。

 事態が好転したのは、母親が同じ悩みを持つ人と交流を持ってから。母親は気持ちを切り替え、「食べたいものを食べられる時に食べればいい」と鈴木さんに声をかけた。「こんな状態でも母に受け入れてもらえたと安心した」。母親の理解で徐々に回復したが、それでも完治するには三年はかかったという。
 障害を克服後、国際大会で活躍した。一〇年のバンクーバー五輪フィギュアスケート女子で八位入賞し、今年の世界選手権で銅メダルに輝いた。

 発症には複数の要因が重なる場合が多く、他人からの評価が強く気になったり、完璧主義なタイプの人に多いとされる。鈴木さんも「自分も神経質になりすぎ、こうしなきゃいけないと思い込んでいた」と振り返る。「自分のことを自分が好きになってほしい」。会場の当事者や家族にメッセージを送った。

 <摂食障害> 体重や体形へのこだわりなど心理的要因により食事の取り方が異常になる疾患。食べる量が極端に減ったり、食べては吐くを繰り返したりする「拒食症」と、発作的にむちゃ食いを繰り返す「過食症」がある。発症者数は推定年間2万3000人。拒食症では栄養失調などの合併症による死亡率は7~10%と高く、無月経や成長障害などの後遺症が残ることもある。やせていることを礼賛する社会の風潮が背景にある。

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121010/oth12101014450000-n1.htm

どうせやるなら、楽しまなきゃ損!

2012.10.10 14:44 産経ニュース

  オフの恒例行事が米国での滞在です。今年も5月上旬から約1カ月間、デトロイトに滞在しました。

 オフに米国に行く主な目的は、新しいシーズンの演技の振り付けですが、私の中では休養の意味合いもあります。シーズンが終わった後に思うことは、「まずはゆっくり休みたい」ということなのです。

 だけど、日本にいると、シーズンと同じように名古屋市内のリンクに通う日々になってしまいます。集中してシーズンを過ごした直後には気分転換も必要ですし、スケート以外の時間を過ごしたいとも思います。

 もともとデトロイトに行くようになったのは3年前から。バンクーバー五輪の翌年からだったのですが、そのときは本当に振り付けに1週間滞在しただけです。昨年から1カ月の期間で、ゆっくりと自分の時間も作れるようになりました。現地では車も自分で運転して、一緒にスケートをしている仲間たちとショッピングモールにも足を運んだりします。

もちろん、スケートの練習もこなします。今年はそんなデトロイトで自分をさらに成長させるできごとがありました。

 ■アイスダンスで劇的変化

 それは、スケーティング技術の向上です。デトロイトはアイスダンスがすごく有名な土地柄なのです。私はもともとアイスダンスが大好きで、現地で他の選手たちの練習を見ていて、スケーティングで学べることはないかと考えました。

 振り付けを担当してくれるパスクワーレ・カメレンゴ先生に「ジャンプじゃなくて、スケートがうまくなりたい」って打ち明けると、アイスダンスの技術面を教えているコーチに頼んでくれて、レッスンを受けることができたのです。

 1回のレッスンだったので時間は45分。教わったことも、本当に基礎的なことで、もしかしたらずっと昔の子供のころに指導された内容に含まれていたかもしれません。1回習ったことがすべて身につくわけではありません。でも、レッスンで教わったことが、自分にとっては改めて新鮮に映り、すごく大きな収穫となりました。

 自分自身でも驚くほどの進歩で、スケート靴の重心が乗る位置で、氷の押し方というか、それがすごく変わることを実感できました。「ここに乗ったらこんなに滑るんだというのがあった」という感覚をつかめました。日本に帰ってきて、練習を見てくれた長久保裕コーチに「すごく滑るようになった」といわれたほどです。それをプログラムに生かしていくにはまだ時間がかかりそうですが。

 ■聞くは一時の恥

 スケートの世界は2年後のソチ五輪に向けて、また新しい選手も次々に出てきます。私は昨年の世界選手権で銅メダルを取ることができましたが、正直にいえば、余裕はいっさいありません。一瞬でも油断したらすぐに抜かれてしまうと思いながら、いつも必死です。せっぱ詰まったような焦りはありませんが、それこそ泳ぎ続けないとっていつも思っています。

そういう気持ちの中で、スケーティングをうまくなりたいという気持ちもわき起こってきたのかもしれません。上のレベルに行くほど、人に聞くのは恥ずかしくなりますが、そこでの恥ずかしさは一瞬だと思って、コーチにも疑問に思ったことは聞くようにしています。

 あと、必死な中にも楽しむ気持ちを忘れてはいけないと思っています。これはフィギュアスケートの世界だけでなく、社会人や学生の読者の皆さんも同じではないでしょうか。どうせやるなら、楽しまなきゃ損!ですよね。同世代の女性とか、もうちょっと年齢が上の方で、たとえば子育てを終えて、また人生の次の一歩を踏み出そうとしている人に、私の演技からそんなメッセージが伝わればいいなと願っています。(フィギュアスケーター 鈴木明子/SANKEI EXPRESS)

       ◇

 ■すずき・あきこ 1985年3月28日、愛知県豊橋市生まれ。フィギュアスケート女子シングルスで2010年バンクーバー五輪8位入賞、12年世界選手権銅メダル。邦和スポーツランド所属。趣味はヨガ、読書。

$フィギュアスケート研究本

【鈴木明子のHAPPY_SKATING】世界選手権のエキシビションで演技する鈴木明子。銅メダルに輝き、さらなる意欲も=4月1日、フランス・ニースのパレ・デ・エクスポジション(共同)

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【鈴木明子のHAPPY_SKATING】世界選手権では初となるメダルを獲得し、笑顔を見せる鈴木明子=3月31日、フランス・ニースのパレ・デ・エクスポジション(共同)


鈴木選手は、摂食障害の完治に3年もかかってしまったのですね。

大変でしたよね。

そこから見事に立ち直り、結果を出し、また継続している現役生活は、本当に素晴らしいと思います。

プログラム作りの為に、デトロイトへの一か月の滞在がリフレッシュになるとの事、同じスケートの練習でも、移動で旅行気分になりますし、いつものリンクとは違うリンクで練習、そこにいる方との交流や生活は、とても刺激的だと思います。

今年、浅田選手もハンガリーに行きましたが、そちらも、練習に行ったとはいえ、とっても良い刺激とリフレッシュになったのでしょう。

明子さんが受けたというアイスダンスの技術のレッスンが、スケートの滑りを劇的に変えたそうですが、こちらも去年、高橋選手がフランスへ習いに行ったアイスダンスのレッスンと同じ効果があったようです。

アイスダンスの滑り方というのは、凄いのですねぇ。

シングルスケーターとして、長年滑っている選手でも、滑り方が、アイスダンスとは、やはり違うのですね。

ジャンプの技術も大切ですが、こういう別の基礎的な事を取り入れるだけでも、新たな滑りを手に入れられる、何年たっても、勉強する事はあるという事ですよね。

また、長年の滑りの慣れで、基礎的な事を忘れてしまっていたという事もあるのかもしれません。

現役を続ける事で、こうした新しい技術との出会いがあって良かったと思います。

今季も、現役続行です。

新たな技術を更に磨いて、素敵な滑りをまた見せてくださいね。



↓あっこさん、今季も頑張ってくださいね。≧(´▽`)≦


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