織田信成インタビュー・前編 | フィギュアスケート研究本

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「すごく充実した時期を過ごせている」
フィギュア織田信成インタビュー・前編


2013年12月16日 12:40 スポーツナビ

 織田信成(関西大学大学院)は終始、柔らかな笑みを浮かべていた。取材日はグランプリ(GP)ファイナル出場が急きょ決まった翌日。突然の報に加え、大会も間近に迫っていたとあって、多少なりとも焦燥感があると思っていた。しかし、その予想は見事に裏切られた。「不安や焦りはあるかもしれないですけど、僕はいま、すごく充実した時期を過ごせているんです」。

 2010年バンクーバー五輪でのアクシデント、結婚、そして負傷による長期離脱からの復活。そのすべてが織田にとっては糧となり、現在の好調につながっている。高橋大輔(関西大学大学院)とともに長年、男子フィギュア界をけん引してきた織田も26歳。若手の台頭も著しいが、GPファイナルでも3位とまだまだ健在であることを見せつけている。今季限りでの引退を表明している織田に、バンクーバー五輪からの4年間を振り返ってもらいつつ、現在の心境を聞いた。

技術面、精神面ともに良くなっている

――まずは今季のここまでの演技について聞かせてください。GPシリーズはスケートカナダとNHK杯に出ていますが、ご自身ではここまでの演技をどう評価していますか?

 スケートカナダのときは思うように滑ることはできなかったんですけど、NHK杯はショートプログラム(SP)もフリースケーティング(FS)もこういう滑りがしたいなと思っていた滑りができました。日本のお客さんの前でそういう滑りができたのはうれしかったですね。昨シーズンと比べても、技術面も精神面もちょっとずつ良くなっているかと思います。

――5年ぶりのNHK杯で、すごく歓声も多かったと思います。滑ってみて、それはすごく感じましたか?

 本当に久しぶりの日本での国際大会で、僕自身もNHK杯はすごく好きな大会ですし、わくわくしていたんですけど、いざ本番になると緊張や不安はありました。でも本当にお客さんの声援や「がんばれ」という言葉が後押ししてくれたなかで滑ることができたので「幸せだな」と思いました。

――SPでは最初はご自身でも納得の演技だと感じたと思うのですが、実際はエラーなどがあり、思ったより点数が伸びませんでした。残念な気持ちはありましたか?

 結局、自分のミスですからね。「ミスしてしまったんや」という自分でも分からないミスをしてしまったので、そこはしっかり修正しないと、と思いました。でもSPが終わったときのお客さんの歓声からすごく勇気をもらったし、うれしかったので、FSに向けて期待に応えないといけないと思っていました。

――すぐに切り替えられました?

 そうですね。切り替えというよりも、そこまで落ち込んではいなかったんです。いつも見てくれる母なんかも「良かったよ」と言ってくれたので、そこは自信になりました。


NHK杯では自身も満足の滑りを披露。2位に入り、会場に詰め掛けたファンから大きな歓声を浴びた【坂本清】

4回転ジャンプが安定してきた

――アイスショーから4回転ジャンプを降りていて、すごく好調な印象を受けていたんですが、4回転ジャンプに関しては今季うまくいっているとご自身でも感じていますか?

 そうですね。昨シーズンは筋力から上げていかなきゃいけなかったので、それと4回転を跳ぶ技術がかみ合わなかったんですけど、昨シーズンのトレーニングで培ったものを今季の自分自身のパワーに変えることができたので、4回転も安定してきたと思います。以前は四六時中、4回転のことを意識していたんですけど、いまは4回転を2本跳ぶということだったり、ステップから4回転を跳ぶということだったり、違う考え方をできるようになったので、レベルアップできているなと思います。

――今季は別のことも考えられるようになったと?

 ほかの面でも成長していかなきゃいけないと感じますし、芸術面でも伸ばしていきたいと思ったので、4回転のことをあまり考えないで良くなるような自分を目指して、トレーニングをしてきました。いまは少しずつできているのかなと思います。

――4回転ジャンプやそのほかのジャンプも含めて、昨シーズンからフォームを変えたり、練習の方法を変えたりしたということはありましたか?

 特に技術面で「これを変えた」というのはないんですけど、どの練習をするにしても絶対にあきらめないとか、妥協しないとか、自分がこれをやると決めたら最後までしっかりやることを心がけています。

――2シーズン前のけがを踏まえて、昨季や今季で変えた部分はありますか?

 きちんと体のケアをするようにしています。1度けがをした部分をまたけがすることはよくあることなので。そういうところは意識して、オイルを塗ったり、湿布を貼ったりというケアはけがをしたときに学んだので、いまでも練習にプラスしてやっています。

――けっこう入念にやっているのですか?

 2カ月に1回とか調子が悪いときに古傷が痛んだり、まれに感じるときがあるので、そういうときは特に入念にやるようにしています。五輪シーズンで無理をしないということは無理なんですけど、ケアをよくできるようになったかなと。

自分の人生が変わるターニングポイント

――自身のなかでブラッシュアップしていかないといけない感じている部分はありますか?

 ジャンプだけじゃなく、スピンやステップのレベルであったり、技術面を落とさないようにしなきゃいけないと思っています。自分が目指している高いレベルの評価をもらえるようにすることと、芸術面においても、指先や足先を意識して滑るようにしています。

――かつてないほど出場権争いが熾烈を極めています。長年、男子フィギュア界をけん引してきた織田選手にとっては、現状をどう思いますか?

 若手の選手がすごく伸びてうれしい反面、勢いがある選手と戦わないといけない難しさをベテランの選手はみんな感じていると思います。緊張や不安や焦りはあるかもしれないですけど、自分の人生において、僕はいま、すごく充実した時期を過ごせていると思うんです。だから自分の人生が変わるターニングポイントなんだと思って、気を抜かないで練習をしています。

――8年前や4年前と比べて、代表選考を控えたいまぐらいの時期で変わっている部分はありますか?

(8年前の)トリノ五輪のシーズンはシニア1年目で、自分が五輪候補と言ってもらえることがすごく光栄でした。本田(武史)選手や高橋(大輔)選手もいましたし、シーズンが始まるまでは五輪なんて全く考えていなくて。初めてのシニアのシーズンだったので、のびのびやろうという気持ちしかなかったんです。本当に注目してもらえたし、自分のスケートを知ってもらえて、すごく良い年だと感じていました。プレッシャーもなかったですし、ただただ勝ちたい、良い演技をしたいという気持ちだけでした。

 そういうシーズンを経て、バンクーバー五輪までの4年間は、バンクーバーを集大成にしようという気持ちでしたね。23歳になる年で、そのあとスケートをやるか決めていなかったし、そこを1つの区切りとして、集大成だと思ってやってきたので、そういう意味では4年前のほうが自分にプレッシャーをかけていました。そこでソチに向けてやっていきたいという気持ちも強くなりました。いまは自分よりも周りの選手の勢いにプレッシャーを感じる部分があります。そういった面ではいまのほうがプレッシャーを感じているかもしれません。

――4年前と現在を比べて成長した部分はどういうところだと思っていますか?

 バンクーバー五輪のときは自分自身が子どもだなと思っていました。それが結婚を経て、子どもができて、だいぶ落ち着いてきましたね。前までは感情の起伏が激しかったんですけど、いまはそういうことがなくなりました。何事にも冷静に接することができるようになったかなと思います。


今季は4回転ジャンプが安定している。しかし、織田は「あまり考えすぎないようにしている」とし、他の要素においてもレベルアップを図っている【Getty Images】

五輪は夢の舞台というより戦う舞台

――初めて味わった五輪の舞台。印象に残っていることは?

 五輪はすごく特別なものだと分かっていたんですけど、いざ試合に行くとみんなすごく集中していました。五輪はやっぱりすごいんだなと思いましたし、みんながメダルを取るんだという気持ちが作り出す何とも言えない雰囲気というのが、魔物が棲む場所たるゆえんなんだなという感じでしたね。

――織田選手が五輪を初めてみたのはいつですか?

 1998年の長野五輪ですね。小学生のときに初めて五輪を見ました。僕、同じリンクで全日本ノービスの大会があって、「ここで滑れることを光栄に思いなさい」と言われたんですね。それをすごく覚えていて、実際にそこで試合が行われているのを見て、「おお!」という感動がありました。そのときはカナダのエルビス・ストイコ選手が出ていて、すごくジャンプが高かった。こんなにジャンプが高いんだという衝撃を受けたのと、タラ・リンピスキー選手やミシェル・クワン選手(ともに米国)の滑りを見て、きれいだなとか、10代なのにすごいなとか、いろいろ世界のスケートを見たのが初めてだったので、それは衝撃的でしたね。

――そのとき、織田選手も五輪で滑ってみたいと?

 いや、そのときは全然思っていなかったです。当時はスケートにそこまで気持ちがいってなくて、すごいなと思っていたんですが、到底自分がそういう選手になれるとは思っていなかったので、手堅くサラリーマンとして生きていこうと決めていました(笑)。だからそこまで夢を持ったというのはなかったですね。ただ、ソルトレークシティ五輪のシーズンに、ちょうど初めて国際大会に行くことができ、自分も五輪を目指していいのかなと思うようになりました。

――そのときが初めてだったんですね

 そうですね。目指すというより目指せる資格があるのかなと。そこが五輪を意識した初めての瞬間ですね。

――そして8年越しでバンクーバー五輪に出場することになりました。出場を決めたときはやはり相当なうれしさがありましたか?

 うれしさはあったんですけど、本当に僕が出るのかと(笑)。自分が見ていた夢の舞台に現実味がなかったというか、会場に行ってその空気を味わった瞬間、ドンと音が聞こえるくらいプレッシャーがかかってきました。そのとき、五輪は夢の舞台というより戦う舞台なんだなと感じましたね。


初めて味わった五輪の雰囲気はやはり独特だったようだ。「会場に入った瞬間、プレッシャーがかかってきた」と、織田は語る【Getty Images】

アクシデントに泣いたバンクーバー五輪

――結果は7位でした。それに対する悔しさはありましたか?

 SPは順位が良かったので、もう少しできたかなという気持ちがあったし、悔しさもありました。いまはその悔しさをバネに、ソチ五輪という舞台を目指して頑張っているので、結果として悪い経験ではなかったです。

――FSの演技中に靴ひもが切れるアクシデントがありました。そのときはどういう気持ちだったんですか?

 何も考えていなかったです。とりあえず4分半(フリーの演技時間)を滑りきらないと点数が出ないと思ったので、靴ひもを結んですぐに滑らないとという感じでした。

――自分はもっとできたという思いはありましたよね

 終わってすぐはやっぱりありましたね。悔しくて、ただただうなだれていました。

――すぐ4年後を目指す気持ちになりましたか?

 う~ん、2日ぐらいは死んでいるような状態でした(笑)。魂ここにあらずという感じだったんですけど、女子の試合の応援があって、日本人選手が頑張っているのを見たら、自分も頑張りたいという気持ちになれました。

――比較的早く決めることができたんですね

 僕、感情の起伏は激しいんですけど、ジェットコースターのように落ちたらすぐに上がる感じなんで、思ったよりは立ち直りは早かったですね(笑)。


バンクーバー五輪では靴ひもが切れるアクシデントに泣いた。織田も「もう少しできたという気持ちがあった」と振り返る【Getty Images】

苦しい時期を支えてくれた家族の存在

――五輪からここ3年間、けが(左ひざけん部分断裂)などもあって決して順調な歩みではなかったと思います。リハビリなどで心が折れそうになったことはありますか?

 折れるというか、不安で押しつぶされそうな状態でしたね。やっぱり氷の上に立てない時間が長かったですし、戻ってちゃんとジャンプを跳べるのかも分からない。ただでさえ筋力も落ちていたし、FSの演技はできるのかなとかいろいろ考えすぎてパニックになっていたときもありました。ただ、家族みんなに温かく支えられたので、あんまりスケートのことを考えないようにして、比較的穏やかにはいられましたね。

――そのときに支えになったのはやはり家族なんですね

 たぶん1人でいたら心が折れたと思います。息子がちょうど1歳になるころだったので、癒されていました。

――リラックスすることにもつながったんですね

 はい。あとソチ五輪を目指すとなったらそこまでまとまった時間を取れることないなと思ったので、いまのうちにたくさん貸しを作っておこうと(笑)。それで復帰したあとはいっぱい支えてもらおうと思っていました(笑)。そういう意味では家族孝行をたくさんできましたね。逆にいまは甘えっぱなしです。

――家族ができて何が一番変わりました?

 練習後はスケートのことを考えなくなりました。前までは帰ったら1人だったので、つねにスケートのことを考えていました。何かあるとスケートのビデオを見ていたんですけど、いまはそれがなくなりましたね。良い意味でスケートを忘れて、オンとオフをうまく切り替えられるようになったと思います。

――スケートを考える割合は前と比べてどのようになりましたか?

 前は100パーセントでしたけどいまは1割ぐらいですかね(笑)。帰ったら子供とディズニーチャンネルを見て、ご飯を食べて、散歩をしています。お風呂入れたり、あとはドラえもんを見たりしてます(笑)。気持ちはすごく楽ですね。

<後編に続く>

(取材・大橋護良/スポーツナビ)


薬指には指輪が光る。バンクーバー五輪後に結婚し、家族ができたことで、成長した部分も数多くあったようだ【スポーツナビ】




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