高橋大輔 新フリー曲『道化師』 | フィギュアスケート研究本

フィギュアスケート研究本

出版スポーツ編集部 フィギュアスケートを語る



歌劇「道化師」より間奏曲(レオンカバルロ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%8C%96%E5%B8%AB_(%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9)

道化師 (オペラ)


『道化師』(どうけし)は、ルッジェーロ・レオンカヴァッロが作曲、1892年に初演された全2幕からなるオペラである。マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」と並んで、ヴェリズモ・オペラの代表作として名高い。

原語曲名:I Pagliacci

台本:作曲者自身
演奏時間:約1時間15分

初演:1892年5月21日、ミラノのテアトロ・ダル・ヴェルメにて、トスカニーニの指揮による


作曲の経緯

 マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の成功(1890年)を目の当たりにしたレオンカヴァッロが、自ら台本を書いて短期間で作曲を完成したもの。なおこのプロットは、1865年5月にカラブリア州モンタルトで発生し、判事だったレオンカヴァッロの父が裁判を担当した実在の事件にヒントを得たというのが作曲者の主張である。

 しかし今日の詳細な研究では、作曲者8歳時の同事件とオペラの筋書にはそれほどの共通点は見出せず、むしろ作曲者はフランスの劇作家カテュル・マンデスの戯曲『タバランの妻』(La Femme de Tabarin, 1887年パリ初演)、あるいはスペインの劇作家マヌエル・タマーヨ・イ・バウスの劇『新演劇』(Un Drama Nuevo, 1867年マドリッド初演)からの翻案を行ったのではないかとの説が有力になってきている。

 なお、レオンカヴァッロはこの作品をソンツォーニョ社が行ったソンツォーニョ・コンクール(第3回)に応募した。しかし作品は2幕物で、コンクール作品の条件のひとつに1幕物のオペラであることがあったため、当然のことながら失格となってしまった。だが、ソンツォーニョ社の社長の目にとまり、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮で初演されて大成功をおさめ、今日ではヴェリズモ・オペラの代表作のひとつとなっている。

主な登場人物

カニオ(劇中ではパリアッチョ) 旅回り一座の座長(テノール)
ネッダ(同コロンビーナ) 女優でカニオの妻(ソプラノ)
トニオ(同タッデーオ) せむしの道化役者(バリトン)
ベッペ(同アルレッキーノ) 色男役者(テノール)
シルヴィオ 村の青年(バリトン)
合唱

舞台構成

全2幕

前奏曲とプロローグ
第1幕 村はずれの路上
第2幕 第1幕と同じ

あらすじ

 時と場所 1865年頃、南イタリア・カラブリア地方のモンタルト村。8月15日の聖母被昇天祭日の午後に始まり、同夜までの出来事。

 力強い前奏曲に続いて、まだ下りた幕間から舞台で用いる仮面を付けたトニオが登場。舞台の上では道化を演じる我々役者もまた血肉をもち、愛憎を重ねる人間であり、それを想った作曲者は涙してこの曲を作ったのだ、云々との前口上(プロローグ)を述べる。

第1幕: 祭日ということで着飾った村人たちが待ち焦がれる旅回りの一座が、座長カニオを先頭にやってくる。カニオは「今晩23時から! 忘れずに芝居を観に来てくれ」と宣伝し、ベッペや村の男たちと居酒屋に繰り出す。他の村人たちは教会の礼拝に向かい、独り残った若いネッダは自由な生活への憧憬を歌う。物陰に潜んでいたせむしのトニオがかねて想いを寄せていたネッダに言い寄るが、手ひどく鞭で打たれ、逃げ出す。入れ違いに村の青年シルヴィオが現れる。

 実はネッダとシルヴィオは相思相愛の仲で、一座がこの村に寄るたび、逢瀬を重ねていた。2人は駆け落ちの相談を始める。それを発見したトニオは、仕返しの好機とばかりにカニオを呼んでくる。ネッダがシルヴィオに「今夜からずっと、あたしはあんたのもの」と言うのを聞いてカニオはついに逆上、シルヴィオは慌てて逃げ出し、ネッダは情夫の名をカニオに明かすのを拒む。大騒ぎを聞きつけてベッペも戻ってきてカニオを鎮め、芝居の仕度を促す。カニオは、怒りも悲しみも隠して道化芝居を演じ、客を笑わせなければならない役者の悲しみを歌う。

 美しい間奏曲に続いて第2幕: 村人がお待ちかねの芝居が始まる。ネッダ扮するコロンビーナが恋人アルレッキーノを待ちわびているところへ、下男タッデーオが現れ言い寄るが、あっけなく蹴り飛ばされ退場。アルレッキーノとコロンビーナがやっと逢引を始めるところに、タッデーオが「パリアッチョが帰ってきた!」と急を告げる。パリアッチョを演ずるカニオは、コロンビーナが逃げ出すアルレッキーノに向かって「今夜からずっと、あたしはあんたのもの」と言うのを聞いて、それが先ほどの現実世界と同じ台詞であることに混乱し、芝居と現実との見境がつかなくなっていく。

 「情夫の名を言え。おれはもう道化師ではない」と叫ぶカニオの迫真の演技に、村人は拍手喝采する。ネッダは危険を悟り逃げ出そうとするが、カニオは彼女を刺殺し、ネッダを助けようと舞台に上がってきたシルヴィオもまたカニオに殺される。村人たちが大混乱の中、カニオは「芝居はこれでおしまいです」とつぶやいて、幕。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%AD

ルッジェーロ・レオンカヴァッロ

レオンカヴァッロ

ルッジェーロ・レオンカヴァッロ(Ruggero Leoncavallo, 1857年3月8日ナポリ - 1919年8月9日モンテカティーニ)は、イタリアのオペラ作曲家、台本作家。

人物

 ナポリ音楽院で学ぶ。数年間の教育活動の後、自作のオペラ上演の機会を得ようと努力したが、果たせなかった。オペラ『道化師 (Pagliacci)』が1892年にミラノで上演されるとたちまち成功をおさめた。これは今日標準的なオペラの演目に残っている唯一のレオンカヴァッロ作品であり、それ以外の歴史的歌劇などは上演される機会はない。翌年『メディチ家の人々 (I Medici)』を、1896年には『チャタートン (Chatterton)』を発表するが、どちらも興行的には失敗に終わった。その後のオペラは、『ザザ (Zazà, 1900年)』や『ベルリンのローラント (Der Roland, 1904年)』がある。

 文才に恵まれ、また同時代のフランス文学に通暁していたレオンカヴァッロは、台本作家としてもそこそこの成功を収めた。レオンカヴァッロは初期のオペラでは自ら台本を書いており、また他の作曲家のオペラの台本も書いている。プッチーニの出世作『マノン・レスコー』の脚本にも協力した。

作品

オペラ

道化師 (Pagliacci) 1892年、ミラノ
メディチ家の人々(I Medici)1893年、ミラノ
未完に終わった三部作「黄昏(Crepusculum)」の第1作。
チャタートン(Chatterton)1896年、ローマ
ザザ (Zazà) 1900年、ミラノ
ベルリンのローラント (Der Roland von Berlin) 1904年、ベルリン
マーヤ (Maia) 1910年、ローマ)
ジプシーたち (Gli Zingari) 1912年、ロンドン
ミミ・パンソン (Mimi Pinson) 1913年、パレルモ (ラ・ボエームの改訂版)
エディプス王 (Edipo Re) 1920年、シカゴ
オペレッタ [編集]
フィガロの青春時代 (La jeunesse de Figaro) 1906年、アメリカ
マルブルック (Malbrouck) 1910年、ローマ
いばらの姫君 (La reginetta delle rose) 1912年、ローマ
いらっしゃいますか (Are you There?) 1913年、ロンドン
志願者 (La candidata) 1915年、ローマ
Prestami tua moglie 1916年、モンテカティーニ
ゴッフレード・マメリ (Goffredo Mameli) (1916年、ジェノヴァ)
A chi la giarrettiera? 1919年、ローマ
はじめての口づけ (Il primo bacio) 1923年、モンテカティーニ
La maschera nuda 1925年、ナポリ

その他の作品

交響詩「5月の夜(La nuit de mai)」(テノールと管弦楽のための) 1886年、パリ
アルフレッド・ド・ミュッセの詩による。2009年、プラシド・ドミンゴによるCDがリリースされた。
交響詩「セラフィトゥス・セラフィタ(Séraphitus Séraphita)」 スカラ座、1894年
オノレ・ド・バルザックの小説による。
「朝の歌(Mattinata)」などの多数の歌曲

$フィギュアスケート研究本

レオンカヴァッロ


シェイリー・ボーンさんの振り付けは、オペラだったとは、大ちゃんのフリ―、大変楽しみですよね。

大ちゃん、この曲で、どんどん優勝を狙っていただきたいと思います。(≡^∇^≡)



↓フリープログラム、楽しみです。( ̄▽+ ̄*)

FC2 Blog Ranking