7→9さい 昆虫、恐竜、水泳、パパいない

🐞昆虫

モンシロチョウ、シジミチョウ、トンボ、クワガタなど

昆虫採集は大好きだった。

ただし、カマキリは大好きなのに怖くて捕まえられない。なので、近所の中村のおばさんにお願いした。

ピンポンおして、「中村さん、カマキリいるの。つかまえて!」みたいな依頼方法だった。今思えば、面倒な子供だった。

🦕恐竜

昆虫とともに、図鑑を熟読といっても、文章を読み込むわけではないので、どちらかというと毎日のように凝視していたとう表現が正しい気がする。

小学校2年頃には図鑑に書いてあるほぼすべての恐竜の特徴と名前を覚えた。

8歳の頃、両親が離婚した後の夏休み、父親の実家がある仙台に滞在した際に、恐竜の展覧会があり、いとこのお兄ちゃん達とともにアンモナイトの小さな化石を買ってもらったことを鮮明に覚えている。

いとこのお兄ちゃん達は、2人兄弟で1番上のお兄ちゃんが当時、中学生、2番目のお兄ちゃんは小学校高学年だったと思う。記念に買ってもらった化石は、番上のお兄ちゃんが、高級な魚の化石、2番目のお兄ちゃんは、ちょっと高級な三葉虫の化石、私がリーズナブルな小さなアンモナイトの化石だった。

私はこの時期に年功序列ということがどういうものかを学ばされた。

🏊水泳、パパいない

突然、祖父は当時5歳の私をプールに放り投げた。

というのが私が人生において初めて泳ごうとした記憶である。

なんてことをするんだと大好きな祖父に対して何年もクレームを言っていた記憶もある。

確か小学校2年生になった頃に隣町の東村山でスイミングスクールがあり、そこで私は週に2回水泳を習うことになった。

みるみるうちに泳げるようになり、小学校3年生頃には水泳の4競技全てを泳げるようになっていた。

この頃からスポーツに目覚め、怪我をするからと言う理由で流行っていたサッカーを習うことはできなかったが、様々なスポーツに挑戦した。水泳大会やわんぱく相撲、マラソン大会に出るようになり、毎日毎日心も体も成長していく。まさにエネルギーに満ち溢れた毎日を他者に認めてもらいたいがために何とか目立とうとしていた。

様々な大会に挑戦するたびに思うのは、応援に来るパパがいないということだった。他の子供たちは夫婦揃って家族総出で応援に来ているが、私の場合は基本的には母親が忙しい中、都合をつけてくれて1人で応援に来ている。そんな感じだった。

この「パパがいない」と言う感覚が強いストレスになっていたと言う実感はなかったが、何とかしてそれを乗り越えられるように、多くの人から高い評価を得たいと毎回何かしらの大会に向けて努力をしていた気がする。

とは言え、水泳、マラソンの大会も、わんぱく相撲大会すらもメダル獲得には遠く及ばなかった。