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shunの絵かき帳

波乗りが好きすぎてhawaiiに移住してしまった人間のちょいとお馬鹿な絵日記


先日、有名な格闘家が他界されました。

その方の経歴などは多少は知っていて、自分の世界とは全く違う華やかな人生を過ごしていると思っていたけれど、

同じ年代、同じ病気と闘ってること、これを知り本当に他人ごとじゃないって思っていた矢先の出来事だったので、僕自身もショックだった。

凄く辛かったと思う。死を告知され、全てが絶望的になって、悩まされ、自身の将来、子供の未来、そして希望をもって自身の最善の治療を選択して、戦い抜きそして、、、

それでも、その間家族に支えられて本当の愛を感じ、絆が家族に生まれたと思う。

それだけでも良かったんじゃないのかなって、

死を宣告された人間の生き方は十人十色。

もし、貴方が死を宣告されたら何を感じ、どんな生き方をしますか?





離婚を告げられ、全てがどん底になって毎日を過ごしている自分がいた。

表面上は普通に生活して、子供の前では夫婦を装って、仕事場では同僚の前で普通を装い、営業中では笑顔でお客様の目の前に立っていたって、中身は本当にギリギリだった。

全ての景色が灰色に見えて、何を信じるか、何に対して生きるのが、ずっと模索していた。

果たして、自分の信じる道は正しいのか?

間違えていたのか?

やっぱり不安だった。

毎日自問自答の繰り返し、気が狂いそうだった。けれども、全てが終わっていたから必然的に前を向くだけだった。

一度死を覚悟したからもう何も怖くはなかった。

ただただ小さな希望だけを探すつもりで、色々な情報を集めていた。


癌サバイバー。


死ぬほど調べた。死ぬほど本を読み漁った。
行き着いたのは、ムラキテルミさん、船瀬俊介さん、菊永恵妃 さん

そして、断食とゲルソン療法、免疫力による治療

新しい希望を胸に抱き、生きる為の自分の治療を始める。

これからがスタートだった。

どん底からのスタート。

もう、何も失うものはないから今はやれることをやり尽くす。

それだけだった。











8月の半ばで今迄お世話になった職場を退職することになりました。

ハワイで、一番有名なレストラン。ハワイで一番有名な職人の後釜で働いた3年間、本当に勉強に はなったけど、色々あり過ぎてもう全てが疲れ果ててしまった。

最終的に全てを失い。もう一度全てをやり直すために決意をして、見事に八月の半ばで全てが繋がって転職、引越しの契約が同時に済ませられ、新しい生活が始まる。

家族の為に死ぬほど働き、病気になり全てを失った今は身体のこと、精神的なこと、これを第一にに考え、癌を早く治していきたい。

早く元気になって、娘とたくさん遊んで、笑顔で過ごしたい。

次は自分の幸せを感じる生活を目指して前向きに生きたい。



https://ameblo.jp/shunview/entry-10354117064.html

久しぶりに昔の自分のブログを読んでみる。

なかなか面白い。腐ってた自分が救われた。

色々あったな。

アホなこと、  
 
サーフィン、  

好きなことやって生きてきた。

最近の自分。    

なんか駄目。

前向きにならなきゃな。

過去に助けられてる自分。

これ、書いてきて本当に良かった。

やっぱり日記って大切なんだね。

明日からまた新しい一日を書いて未来を助けよう✨
 
頑張ろ🤙
今日で喉頭癌になり一年半になる。

職場では同僚に迷惑をかけて尚且つ支えてもらいながらも、毎日カウンターに立って働いている。

当然目の前にお客さんが座ったら接客もしなければならないけれど、声が掠れてお客さんに届かず、悪戦苦闘の毎日を過ごしている。

今の自分の担当は目の前の二席のカウンターのお客様と、5組みのテーブル、3組みの座敷となっている。

今出来ることは、癌の影響で言葉で伝えられない分、刺身の盛り付け、巻物の食感、握りのクオリティーなど食べる側に全てを理解してもらえる仕事を心掛けている。

この世界に入ってもう26年目。

高校生のバイト時代のデニーズから始まって、この世界で生きていく決心をしてフレンチ希望で専門学校で勉強をし、その道に進むはずだったのがちょっとした運命の悪戯で、何故か就職したホテルの寿司屋に配属されて、そこで食べた本物の寿司の旨さに感動を覚えて今の僕の人生が決まって現在に至る。     

その当時の上司と同じ年頃になった現在、自分を含めてどんな有名店の寿司を食べても、その当時の上司を超えられる寿司と出会えていない。そして今後も出会えることはけっして無いだろう。

ハワイで働きはじめた数年後、日本に一時帰国してお世話になった当時の上司に挨拶をして最後に言われた一言、

「おい。時間あるなら寿司食ってけよ。」

その言葉がその上司の最後の言葉で、自分の人生で最後の最高である寿司だった。

毎日の仕込み、米を洗う段階から乾かし、炊き方、酢の分量、舎利の切り方、そして、切りつけ、何百回も寿司を握って思うこと。どんなに忙しくても、寿司一貫に対する気持ちの入れ方。空気の入れ方握りの塩梅、その時の上司の握りを再現するつもりで握っている

まだまだ足りない。けどハンディキャップを持っていても、伝わるものは必ずある。

そう信じ明日も生きていこう。

あの最高の寿司を握れるまで。





娘らが去った後の誰も居ない部屋は、良いことも悪いことも色々あったけれども、今の僕にとっては、もはや苦痛しか与えない部屋になっている。

いつまでもこの空間は全く癒される空間ではなく、僕を悪い方向へと導く空間になりつつある。脱却する為、前向きになる為に気持ちを切り替える為に前に進む決心をした。

仕事の休憩中、帰宅後、空いてる時間に物件を100件近く探して、アポイントを取って、一日中部屋のことで頭がいっぱい。

今度は自分自身の為の部屋探し、

昔にハイエースのシートをフルフラットにして寝室にしていた過去があるからぶっちゃけ何処でも住めるが、

今は完全に癒しの空間を作って癌を完治するように希望を持って前に進んでいる

良い物件あると良いな👌







今日で怜ちゃんが日本に帰ってほぼ一週間になる。

普段は忙しくて全く気にならないことでも休日になり一人になると、改めて誰も居ない部屋で孤独を感じる。

胸がしめつけられて、好きなサーフィンをしてもその苦しみは今日だけは消えてくれない。

今何処で何をしてる? 

何もわからない

産まれてから始めて一緒にいない一週間は僕にとって始めての経験でもある。

いつまでこの静けさが僕に苦しみを与えるのだろうか?

今日だけは、落ちるところまで落ちてしまおう。

そんな夜だってあっても良いはず。

何も無い部屋にあるたった一枚の写真が僕の全て。

怜ちゃん、

会いたいな。





今週中頃からまた波のサイズが上がってきたサウス。



先日に3-5fの波を短い板で挑戦して、やらかしてしまった為に今日は4年ぶりにデカ波用の6’9を引っ張り出してきた。

怜ちゃんが産まれて、もうサーフィンは暫く行けないと思い、一時は捨ててしまおうかと悩んでたけれども、根が貧乏性な為か、万が一のことを考えて保存していたのが正解だった。
 



パドルアウトをして沖のラインナップで波を待つ。波情報どうり3-5f セットは頭から頭半
  
セットが入ってきていざtakeoff

ヤバイ、簡単に波が取れる  

ニヤニヤ浮かれたまま数本波に乗り最後に来た一本でまたやらかした。

セットをミスっでパーリングして、ぐるぐる巻きになった後、海面から顔をだすと、サーフボードが無い。

焦ってリーシュを見るが切れてない。何故だかわからないままに、パニックになったけど、逃げなきゃ駄目だと思い、すぐさまインサイドに逃げる
 
岸を見ると遥か彼方に板が流されて行く。

そしてまたセットが来て巻かれる。

必死になって泳ぐ、巻かれるを数回繰り返してやっと沖から中間まで来てチャンネルから逃げる

次は板探し、ひたすら泳ぎながら板を探すと遥か彼方に板が流されていた。


  

※赤いラインを遠泳



ひたすら泳ぎ、疲れ果てやっと板にしがみつきリーシュカップを見てみると、リーシュカップとリーシュを繋ぐ紐が劣化して切れてしまっていた。


完全に自分のミステイクだった。

またやらかして、疲れ果てた後に昼間の仕事の仕込みに行き。
  
数時間後、午後の営業が始まる。

厄年中は全ての事に気をつけて、メンテナンスをしっかりしようと思い、何故か自分の包丁を全て研いでいるアホな自分がそこにはいた。   
明日はもっとサイズが上がる、楽しみな反面怖さもある。

が、徹底して楽しもう。今は僕に与えられた自分の時間をエンジョイするだけだ。







調子に乗って突っ込みまくったらガッツリリーフでやってしまった。。。かなり深いし😱

今週は恐ろしく波が良い予定だから早くなおさなきゃ💦
 
ってか、厄年恐ろしすぎ🤕