河内国「三光神社」 | 播磨屋伝兵衛ブログ

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播磨エリアを中心に、神社仏閣・史跡巡り。時々、音楽中心に。

”千六百年の歴史と真田幸村にゆかりある神社

三光神社

三光神社は、大阪城東南の丘陵・真田山に鎮座しています。

創立は、約千六百年前の反正天皇(四〇六~四一〇年)の御代と

伝承されています。

ご祭神は、天照大神、月読尊、素戔嗚尊。

三光神社拝殿

昭和二〇年の戦禍によって、各社殿、建物、氏子全域を焼失して

しまいました。

復興は絶望的と思われていましたが、氏子崇敬者によって本殿、社務所、

拝殿、鳥居、各末社と四期にわたっての復興がなされ現在に至りました。

片柱の鳥居

「片柱の鳥居」第二次世界大戦の戦禍によって片柱のみとなった

大鳥居を悠久の平和と国家の安泰を祈願して今に伝えています。

真田の抜け穴

「真田の抜け穴」拝殿下にあります。大坂の陣の際に西軍の

真田幸村がこの地に偃月城(えんげつじょう)=真田丸という

砦を築き、本城からここに至るまで地下に抜け道を設けた跡と

言い伝えられています。

真田幸村像

「真田信繁(幸村)像」昭和六十二年建立。

末社は、仁徳天皇社。

武内宿祢社。大阪七福神の寿老人と同一。末裔である武川氏が

八十六代にわたって当社の神職を務めています。

野見宿祢社。主守稲荷社。

三光神社の南西には、「旧真田山陸軍墓地」があります。

明治四年(1871年)に日本で最初に設置された軍用墓地です。

陸軍創設期に亡くなられた兵士をはじめ、西南戦争、日清・日露戦争、

第一次世界大戦、第二次世界大戦における軍人・軍関係者の戦死者・

病死者などが埋葬されています。

5,000を越える墓石、8,000を越える方が眠る納骨堂などが整備されています。

アクセス:JR環状線「玉造」駅から徒歩5分