このblogをいつも楽しみにして見てくれている人がいるのにいつもなかなか書けずにごめんなさい。
書く時間が無いってわけじゃないんだけど、どーも優先順位がいつも下の方で(^_^;)
書きたいことはいーーーっぱいあるのだけどね。
さて、たくさんある中で今日書くのは先月行われた日本最大のタップダンスのフェスティバル「NATIONAL TAP DAY 2014」
オレは日本にいる時は毎年師匠のスタジオ「シュガーフットダンススタジオ」で出演させてもらっているのですが、今回はちょっと特別でオープニングの代表者ナンバー、シュガーフットダンススタジオに加え自分のカンパニー「SHUN&HOOFERS~The First~」さらに「佐々木隆子先生トリビュート」と4ナンバーも出させていただきました。
オレは3月4月が毎週多くのショーやイベント、舞台に出演していたのでリハーサルの量が致死量レベルで死にそうでしたが終わってみればとても充実したものでした。
まぁ、まだ東京インターナショナルタップフェスが終わるまではスケジュールがえげつないので頑張っていますが(^_^;)
はい
で、書きたいこといっぱいなのでHOOFERSの事を!
オレは今年で6年目のSHUN&HOOFERSを
”タップダンスチーム”から”タップダンスカンパニー”
にしたのですが、その理由は一緒に踊りたいタップダンサーや良いモノ持ってるタップダンサーが自分の周りに増えたからです。
さらに、タップダンサーがタップダンスでお金を稼げるようなカンパニーが無い日本でそうゆうカンパニーがあれば若いタップダンサー達が将来に希望を見出せず就職とゆう判断をしなければならない状況を変えられると思ったからです。
「タップダンスは大好き」
「できればタップダンスで食べて行きたい」
そう思いながら毎日頑張っているタップダンサーは多い。
しかし、高校を卒業し大学に進学
大学を卒業しタップやめて就職します。
理由は
「タップじゃ稼げないから」
もちろん
インストラクターを週に13~15とかやっていれば十分稼げます。
(オレは若いころこんな感じでした)
自分でスタジオをやれば十分稼げます。
だけど、ストリートダンススタジオのようにたくさんスタジオがあればそれなりに実現できますが、タップダンスを教えているダンススタジオは少ない。
だから、空席もない。
自分でスタジオをやるにもそれなりのネームバリューがないと生徒が集まらないから成り立たない。
それに、オレからしたらそれは胸を張ってタップダンサーですと言える状況ではない。
では、パフォーマンスで稼げるか?
現時点ではタップダンスシーンでは無理だ。
ギャラのたくさん出るタップダンスのイベントに空席はない。
とゆうか、タップダンスのイベントが基本フェス以外無い。
このような状況で若いタップダンサーが将来に希望を見出だせるか?
なかなか難しい。
オレみたいに「無いもんは作れ」スタイルの考えを持ったバカになって自分がやっていきやすい環境やシーンを自ら作るなら別だが、これはとんでもなく苦しいし敵も沢山作るから絶対にオススメはしない。
ってことで
たまたまオレが上手くいって余裕も出てきたので少しでも若い子達の希望になるようなモノを作ろうとし、
タップダンスカンパニー「SHUN&HOOFERS」を作りました。
過去5年間の活動は名前とスタイルをより多くの人達に知ってもらうことを目的とした活動でした。
その活動のおかげで、現在は多くのイベントにゲストとして呼んでいただけています。
2008年の川崎タップフェスティバルがSHUN&HOOFERSのデビューだったのですが、この時はまだ自分と自分の生徒数名のナンバー的な感覚のものでした。
オレは2000年あたり、高校入ったくらいから本格的にインストラクターを始めてどこかスタジオ発表会以外で自分の生徒たちを表舞台に立たせられないか考えていた頃でした、タイミングよく川崎タップフェス主催の藤川先生から「こうゆうのやるからナンバー出さないかい?」と連絡をいただき、デビューできたのが始まりです。
この時、「いつかナショナルタップデイに出れたら最高だね」なんて夢のように語っていたことを今でも忘れていません。
あれから6年
まさか、こんなに早く1つの夢が叶うとは思いませんでした。
当時のメンバーはほとんどいなく
でも、CHiAKiとTAKAnaliだけはずっと皆勤でついてきてくれました。
オレとこの2人だけは、ただならぬ気持ちでナショナルを過ごしたと思う。
今回出演したトップチーム11名
それぞれたくさんのただならぬ想いを持って挑んでくれた
それは
ステージ上で証明してくれた
オレらが出て
そこの空気が一気に変わったと見に来ていた多くの人に言われた
オレが「最初の1音、これにすべてを込めよう」
それを、みんなが実行してくれた
最初に1音が鳴り響いた時
空気を変えたと感じた
それと同時に
オレは「オレ達が最強だ」と確信した
ナショナルが終わって周りの反応がすごくて
ナショナルの影響力のすごさを改めて知り
やはり、目指していて良かった、このタイミングで出れて良かったと思った
これでさらに若い子達の目指すものの1つになれたかな
うん
今まで色んな事があった
オレせいでみんなまで変な目で見られることもあった
なのに
何があっても、一緒にいてくれてありがとう。
そして、
6年間の中でオレの誘いを快く引き受けてくれてHOOFERSに力を貸してくれたすべてのメンバーに感謝!!!
みんながいたから、今のHOOFERSがある。
その時その時のメンバーとその時その時の経験があったからこそ
たどり着いたナショナルでした。
ずっと10名前後でやってきたSHUN&HOOFERS
今はカンパニーになり
The First 10名
The Second 10名
The Under 15名
と分けるほどの日本最大のタップダンスカンパニーになりました。
これからも日々変わらず成長し続けていきますので、みなさん是非これからも応援よろしくお願い致します!!!
書く時間が無いってわけじゃないんだけど、どーも優先順位がいつも下の方で(^_^;)
書きたいことはいーーーっぱいあるのだけどね。
さて、たくさんある中で今日書くのは先月行われた日本最大のタップダンスのフェスティバル「NATIONAL TAP DAY 2014」
オレは日本にいる時は毎年師匠のスタジオ「シュガーフットダンススタジオ」で出演させてもらっているのですが、今回はちょっと特別でオープニングの代表者ナンバー、シュガーフットダンススタジオに加え自分のカンパニー「SHUN&HOOFERS~The First~」さらに「佐々木隆子先生トリビュート」と4ナンバーも出させていただきました。
オレは3月4月が毎週多くのショーやイベント、舞台に出演していたのでリハーサルの量が致死量レベルで死にそうでしたが終わってみればとても充実したものでした。
まぁ、まだ東京インターナショナルタップフェスが終わるまではスケジュールがえげつないので頑張っていますが(^_^;)
はい
で、書きたいこといっぱいなのでHOOFERSの事を!
オレは今年で6年目のSHUN&HOOFERSを
”タップダンスチーム”から”タップダンスカンパニー”
にしたのですが、その理由は一緒に踊りたいタップダンサーや良いモノ持ってるタップダンサーが自分の周りに増えたからです。
さらに、タップダンサーがタップダンスでお金を稼げるようなカンパニーが無い日本でそうゆうカンパニーがあれば若いタップダンサー達が将来に希望を見出せず就職とゆう判断をしなければならない状況を変えられると思ったからです。
「タップダンスは大好き」
「できればタップダンスで食べて行きたい」
そう思いながら毎日頑張っているタップダンサーは多い。
しかし、高校を卒業し大学に進学
大学を卒業しタップやめて就職します。
理由は
「タップじゃ稼げないから」
もちろん
インストラクターを週に13~15とかやっていれば十分稼げます。
(オレは若いころこんな感じでした)
自分でスタジオをやれば十分稼げます。
だけど、ストリートダンススタジオのようにたくさんスタジオがあればそれなりに実現できますが、タップダンスを教えているダンススタジオは少ない。
だから、空席もない。
自分でスタジオをやるにもそれなりのネームバリューがないと生徒が集まらないから成り立たない。
それに、オレからしたらそれは胸を張ってタップダンサーですと言える状況ではない。
では、パフォーマンスで稼げるか?
現時点ではタップダンスシーンでは無理だ。
ギャラのたくさん出るタップダンスのイベントに空席はない。
とゆうか、タップダンスのイベントが基本フェス以外無い。
このような状況で若いタップダンサーが将来に希望を見出だせるか?
なかなか難しい。
オレみたいに「無いもんは作れ」スタイルの考えを持ったバカになって自分がやっていきやすい環境やシーンを自ら作るなら別だが、これはとんでもなく苦しいし敵も沢山作るから絶対にオススメはしない。
ってことで
たまたまオレが上手くいって余裕も出てきたので少しでも若い子達の希望になるようなモノを作ろうとし、
タップダンスカンパニー「SHUN&HOOFERS」を作りました。
過去5年間の活動は名前とスタイルをより多くの人達に知ってもらうことを目的とした活動でした。
その活動のおかげで、現在は多くのイベントにゲストとして呼んでいただけています。
2008年の川崎タップフェスティバルがSHUN&HOOFERSのデビューだったのですが、この時はまだ自分と自分の生徒数名のナンバー的な感覚のものでした。
オレは2000年あたり、高校入ったくらいから本格的にインストラクターを始めてどこかスタジオ発表会以外で自分の生徒たちを表舞台に立たせられないか考えていた頃でした、タイミングよく川崎タップフェス主催の藤川先生から「こうゆうのやるからナンバー出さないかい?」と連絡をいただき、デビューできたのが始まりです。
この時、「いつかナショナルタップデイに出れたら最高だね」なんて夢のように語っていたことを今でも忘れていません。
あれから6年
まさか、こんなに早く1つの夢が叶うとは思いませんでした。
当時のメンバーはほとんどいなく
でも、CHiAKiとTAKAnaliだけはずっと皆勤でついてきてくれました。
オレとこの2人だけは、ただならぬ気持ちでナショナルを過ごしたと思う。
今回出演したトップチーム11名
それぞれたくさんのただならぬ想いを持って挑んでくれた
それは
ステージ上で証明してくれた
オレらが出て
そこの空気が一気に変わったと見に来ていた多くの人に言われた
オレが「最初の1音、これにすべてを込めよう」
それを、みんなが実行してくれた
最初に1音が鳴り響いた時
空気を変えたと感じた
それと同時に
オレは「オレ達が最強だ」と確信した
ナショナルが終わって周りの反応がすごくて
ナショナルの影響力のすごさを改めて知り
やはり、目指していて良かった、このタイミングで出れて良かったと思った
これでさらに若い子達の目指すものの1つになれたかな
うん
今まで色んな事があった
オレせいでみんなまで変な目で見られることもあった
なのに
何があっても、一緒にいてくれてありがとう。
そして、
6年間の中でオレの誘いを快く引き受けてくれてHOOFERSに力を貸してくれたすべてのメンバーに感謝!!!
みんながいたから、今のHOOFERSがある。
その時その時のメンバーとその時その時の経験があったからこそ
たどり着いたナショナルでした。
ずっと10名前後でやってきたSHUN&HOOFERS
今はカンパニーになり
The First 10名
The Second 10名
The Under 15名
と分けるほどの日本最大のタップダンスカンパニーになりました。
これからも日々変わらず成長し続けていきますので、みなさん是非これからも応援よろしくお願い致します!!!