で、9月7日ですね(^^)

佐々木隆子門下合同タップダンス公演
  『蘇る!佐々木隆子の世界』
   尊敬と感謝の心をあなたに
~Respect and Gratitude to you~ 


シュガーフットダンススタジオ
服部百合子バレエダンスグループ
アンサンブル

オレはこの3ナンバーの振り付けに関わり、さらに出演をしました。

オレは直接、隆子先生にタップを習ったことはないので、最初、オレでいいのか?と不安と申し訳ない感でいっぱいでした。



隆子先生は若くして亡くなられた日本タップ界の宝物です。

日本人で唯一グレゴリー・ハインズとペアで踊った人です。

日本にタップを広げた人です。

そして、自分の師匠方の師匠です。

オレのオカンの師匠です。


オレはタップを始める前からよくオカンに連れられて隆子先生の出てる舞台を見に行ってました。

明石家さんまさんと踊っていたのが1番記憶にあります。

オレはそのへんからタップに興味を持ち、タップを始めました。

オレがタップ始めたキッカケの人です。

オカンが先生のクラスを受けてる時、オレは決まってスタジオにいる先生のお母さん、おばあちゃんにめんどう見てもらってました。

少し記憶にあります。

あの時、今の先生方が大勢レッスンを受けてたんですね。

だからオレのちっちゃい時を知ってる方が多いんだ(^_^;)


オレはとても幸せな環境で育ったんだなぁ。

高校卒業までタップにそれほどまで興味がなかったのが申し訳ない、とゆうかもったいねー(^_^;)

ただ、続けてて良かったな。


そんな隆子先生のトリビュート公演で振り付けするんだからそりゃビビる。


他にもオレなんかよりずっと適役なダンサーはいっぱいいたはず。

だけど、オレを指名してくれた。

それにはきっと意味があるんだと思い、オレにしかできないモノを作ろうと思った。

オレじゃなくても作れるようなモノを作ったらせっかく指名してくれた意味が無いと。


結果、すべて、オレ色に。

ただ、気持ちは誰よりも強く。



実は関係者でオレが無名だった頃、誰よりも1番最初に目をつけてくれて誰よりも1番最初に使ってくれて、使い続けてくれた恩人が今年の初めに亡くなった。
きっと、その人がオレを見つけてくれなかったらオレは今ほどにはなってないかもしれない。
その人が表舞台に上げてくれたから多くの人がそれを見てくれて、オレを知ってくれて、使ってくれるようになった。

オレが燻ってる若手を表に出したがるのは、その事があったから。


そして、


そして、今年は隆子先生のお母さんも亡くなった。

「しゅんちゃんしゅんちゃん」と、すごくすごく可愛がってくれた。

大好きだった。




踊ってる時、届くように踊りました。

届いてたらいいな。