長すぎる春休み、ついに幕開け
小学校の卒業式だった今日は、長男もお休みで、次男の世話係がいて やれやれ
...のつもりで、長男たっての希望で、朝から児童センターに行ってきたんです
そしたら、施設員の方に
お兄ちゃんたちの使えるものはナイから、お外いってきてね
と、目を付けられてしまって。。
確かに今日は、3歳児クラスがある日で普段より人も多いし
彼らがヒートアップするとダイナミックになっていく恐れがあるので
言われてることは分かっちゃいるんですが
まだ誰もいないうちに
せっかく楽しみに訪れた場所で
いきなり掛けられたコトバが、それだったので。。
なんか、彼らよりわたしが傷ついてしまって
一刻もココにいたくない
と思って、イライラしてきちゃって結局子どもに当たっちゃいました
一番の被害者は彼らにちがいない。。
何か起こっては困る
というのは、大人が責任問われるのが面倒くさかったり、泣かれたりケンカされるとややこしいから、未然に防ぐ
っていう
結局大人の懐が狭い問題であって
子どもは、というか、誰でも
ぶつかりあって、失敗して、いっぱい経験して、じっくりやりつくして、納得してこそ
学ぶ んだよ~
まぁ、わたしが行きたくない児童センター行ったことが間違いだったんでしょうが
子どもとすごすこと=監視 になっちゃダメですよね
今の大人は余裕がなくて、それしかできないけど
やられたら嫌なことや、言われたら嫌なことは、人にやっちゃダメだよね
優しくしなさい、とか片付けなさい
とか
自分ができてないことを、自分より未熟な人に押し付けちゃダメだよね。
それを言えば言うほど、
自分がいい人、ちゃんとした親に見られたいんやなぁ~
ちっちぇ。(・ε・` )
て思ってしまう
他人軸だから、子どもが「そーじゃないよ」と伝えにきてくれてるのにね
かくいうわたしも、そんな親でした。
そういう母親に育てられたし、そのまた母親(祖母)がキョーレツだったりしたので
よき母親のモデルなんてなくて、むしろ真逆の接し方
だからこそ反面教師で、親にしてほしかったことや、正しい子育てを知りたいと学んだり
いい嫁・いい母像を追い求めて、今現在がんばってるんやと思う
だから、がんばらなくても、もともとお母さんらしいお母さんに育てられて
常にふんわり微笑みをたたえて
子育てが辛くなく100%幸せに包まれてる人が羨ましくて仕方ない
そんな人に比べたら、わたしは所詮
養殖もん。
がんばってるから、疲れるよ
家では3オクターブ声が低いよ
そして疲れきった最近ようやく気づいたけど、
誰かのマネをしようとするから しんどい
しかも、そのモデルが架空人物であるから、いつまでたってもつかみきれないでゴールがない
と。
そう、わたしは
お化けと戦っているのだ
ゴーストバスターズ
新しい母親像というのを作っていいんだ
という、ひらめき
ということは
ありのままのわたしでいいんだ
という、世間にありふれすぎているフレーズそのもの。
ま、母親としてはそのままでいいけど
子育てや教育に関しては学んでやるべきことはあると思ってますが。
そして、わたしが戦うもうひとつのやっかいなものといえば
旦那。
進展があったかとおもえば、その倍後退してしまうという、やっかい具合
子育てより難関きてますー
小学校の卒業式だった今日は、長男もお休みで、次男の世話係がいて やれやれ
...のつもりで、長男たっての希望で、朝から児童センターに行ってきたんです
そしたら、施設員の方に
お兄ちゃんたちの使えるものはナイから、お外いってきてね
と、目を付けられてしまって。。
確かに今日は、3歳児クラスがある日で普段より人も多いし
彼らがヒートアップするとダイナミックになっていく恐れがあるので
言われてることは分かっちゃいるんですが
まだ誰もいないうちに
せっかく楽しみに訪れた場所で
いきなり掛けられたコトバが、それだったので。。
なんか、彼らよりわたしが傷ついてしまって
一刻もココにいたくない
と思って、イライラしてきちゃって結局子どもに当たっちゃいました
一番の被害者は彼らにちがいない。。
何か起こっては困る
というのは、大人が責任問われるのが面倒くさかったり、泣かれたりケンカされるとややこしいから、未然に防ぐ
っていう
結局大人の懐が狭い問題であって
子どもは、というか、誰でも
ぶつかりあって、失敗して、いっぱい経験して、じっくりやりつくして、納得してこそ
学ぶ んだよ~
まぁ、わたしが行きたくない児童センター行ったことが間違いだったんでしょうが
子どもとすごすこと=監視 になっちゃダメですよね
今の大人は余裕がなくて、それしかできないけど
やられたら嫌なことや、言われたら嫌なことは、人にやっちゃダメだよね
優しくしなさい、とか片付けなさい
とか
自分ができてないことを、自分より未熟な人に押し付けちゃダメだよね。
それを言えば言うほど、
自分がいい人、ちゃんとした親に見られたいんやなぁ~
ちっちぇ。(・ε・` )
て思ってしまう
他人軸だから、子どもが「そーじゃないよ」と伝えにきてくれてるのにね
かくいうわたしも、そんな親でした。
そういう母親に育てられたし、そのまた母親(祖母)がキョーレツだったりしたので
よき母親のモデルなんてなくて、むしろ真逆の接し方
だからこそ反面教師で、親にしてほしかったことや、正しい子育てを知りたいと学んだり
いい嫁・いい母像を追い求めて、今現在がんばってるんやと思う
だから、がんばらなくても、もともとお母さんらしいお母さんに育てられて
常にふんわり微笑みをたたえて
子育てが辛くなく100%幸せに包まれてる人が羨ましくて仕方ない
そんな人に比べたら、わたしは所詮
養殖もん。
がんばってるから、疲れるよ
家では3オクターブ声が低いよ
そして疲れきった最近ようやく気づいたけど、
誰かのマネをしようとするから しんどい
しかも、そのモデルが架空人物であるから、いつまでたってもつかみきれないでゴールがない
と。
そう、わたしは
お化けと戦っているのだ
ゴーストバスターズ
新しい母親像というのを作っていいんだ
という、ひらめき
ということは
ありのままのわたしでいいんだ
という、世間にありふれすぎているフレーズそのもの。
ま、母親としてはそのままでいいけど
子育てや教育に関しては学んでやるべきことはあると思ってますが。
そして、わたしが戦うもうひとつのやっかいなものといえば
旦那。
進展があったかとおもえば、その倍後退してしまうという、やっかい具合
子育てより難関きてますー