能登のみんなに物資と笑顔を届けて来ました!

申請をして地元の方とチームで金沢で物資を積み込み3台に分けて物資を持って行きました。

羽咋までは割と車もスムーズでしたが、
奥能登からは道も寸断され迂回路を通り
目的地の岬町には片道8時間かけて行ってきました。

子供の頃から慣れ親しんで来た美しい街が
壊れてしまった姿は辛いです。
早く元の環境に戻れる様に力になりたいです。

今回要請があった珠洲のJCの方に物資をお渡して来ました。
今は自衛隊の皆様が物資を送ってくれているので
避難所には物資は行き届いてました。
水や食料などはもう受け取れないという場所も多かったです。

今必要なのは車中泊をされている方も多いので、
燃料、ガソリン、灯油等が一番求められてました。僕たちもかなりの量を持って行きましたが、あっという間に無くなりました。

避難所で色々お話しを伺い、慣れない環境で疲弊されている方もいらっしゃいますし、

普段孤立して暮らしているので、
この機会に沢山の人と話せて過酷な中でも生き生きと活動されている方もいて、
本当にその場所を見ないとわからないことが沢山あります。

一つの震災としてではなく、
何万人もの、人生の中で起こった、一つ一つの災害だということを我々はいつも考えることでその一人一人の気持ちや今ある問題や課題を見つけられると僕は思っています。

途中仲間へのSOSがあり、家が倒壊して車が出せなくなってしまった方のお手伝いもさせて頂きました。

本当にみなさん暖かい人で僕たちもエネルギーを頂きました。

そして今回の依頼の一つは能登から金沢に避難したいという方を6名車に乗せて金沢までもどり、住む場所を探すというミッションもありました。

その場所に向かっている間に、誰がもどり戻らないということがあり、平等でなくなってしまうのでその日の迎えがなくなってしまったのですが、

待機している30人の方に翌朝30人乗りのバスを手配するということで解決しました。
これから仮設や住む場所、心のケアのフェーズも始まります。

帰りは、残りの物資の受け入れ先を地元の方に連絡して頂き、250名の避難民の方を受け入れされている高校に行って来ました。

物資を運ぶ中で僕のことを知ってる人がいてくれて沢山の人が中から出て来てくれて握手とハグをしました。 
1週間経ち、精神的にも限界にきてましたと話してくれました。
みんなが最後まで凄い手を振ってくれて、「来てくれて元気もらいましたー!」と言ってもらってウルっとしました。

今出来ることは限られていますが、
人と人の思いやり、心のやりとりが一番のプレゼントだと感じた瞬間でした。

お金はなくてもお手紙とかメッセージも大切で
凄く喜んでくれると思います。

また来ます。

みんなで支え合って元気でいてくださいね✨

塩谷瞬