清くて真面目な人がクリスチャンという印象が強いよう。
もちろん真面目な人はたくさんいる。キリストを求めて行くと自然とそうなる。神は愛だから。私達も本当の愛を知り、神から愛されていることがわかり、自分が愛せる者へと変えられたいと望むようになる。
神の愛はどうやってわかるの?
なんと罪を通してわかるんです。
キリストは私たちの罪による代償、永遠の死から救うために2000年前に十字架にかかられた。
なんで?私を赦すため。神であるキリストがこの世で人として生まれ、身代わりになって私のあなたの全ての罪の罰を受けてくれた。人間と同じ条件で悲しみ十字架にかかった。
人生を振り返ると失敗したことが沢山思い出される。きっと私は天国に行けない…
そう嘆く瞬間はないだろうか?
心の底にある深い絶望感や悲しみ嘆き
私はあった 目をつむり、心に思いを集中すると、
喜びも希望もなく私なんかただ朽ちて死ぬんだろう
心の深い、誰も入らない、自分も見たくない、罪の吹き溜まりみたいな真っ暗闇なところ そこから悲しみが湧き出てくるような
そこに白い衣を来た人が歩いて来られるのが見えた。その足取りは迷いもなくしっかりとしていた。
私のこんな汚い闇の心の部分に入って来られたのはキリストだった。ハッキリとわかった
この方はおくびもせず私を罪から救う気なんだ。私は目を背けるしかないところに自ら入ってこられて私を救い、ここから引っ張り出す気力に溢れているのがわかった。そうやってキリストは自分のいのちを差し出して代わりに私を救ってくれた。
罪を取り除く神の子羊
ヨハネという人がキリストを実際に見た時言ったことば
私の心は今喜びで溢れている
神は、私達が滅びるのを望んでいない
と同時に罪から救いたいと熱望している
私が後悔して嘆き悲しむ罪を神は赦すためにキリストを送られた
そのストーリーが聖書に書いてある
クリスチャンは良い子だから教会に集まるんじゃない
傷つき傷んでいるから行く
神は聖書を通してなんて言っているのか、
私はこれからどうやって生きて行けばいいのか
その情報を得られるのが教会
そうじゃなくてすぐお金とか労働とか言ってくるところは教会なんかじゃない 自分たちの私利私欲のために利用しているかどうか見分けられる。
この世の価値観や人は、能力や外見、または性格や気質の良さを見て、人と比べる
でも神はそんなこと言っていない
そんな不安定な優越感が生きる燃料になんかならない
あなたを造った神は、
あなたが生きていること、存在していることを喜んでいる
そう、今、神はあなたにそう思ってくれている
"わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
イザヤ書 43章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
この世の欺きからの目が覚めることを祈る