起きること、起きることに


その都度ジャッジしている自分に気が付くようになってきた


その回数と言ったら半端ない


ちょっと油断してるともうジャッジ


今まで、ジャッジしないジャッジしないと意識してきたのに


最近のジャッジはその時気が付かなかったものばかり


そのきっかけとなったものは


自分の願いがかなってるとしても


自分が思ってる方法でない場合は


願いがかなってないと思ってきたということ



例えば、仕事を辞めたいと思ってるとしよう


その人は、上司にそれを伝えられない


でも、やめたいと思ってる。


その時妊娠した。


その時、他の人に仕事に誘われた。


その時、会社がつぶれた。


その時、だまされて大きな失敗を自分に背負わされた。


どれもきっかけができた。辞められた。


その時、会社がつぶれた。


さて、当初そこまで想像できたであろうか。


つまり、自分が想像していない道で目的に近づいていても


本人は気が付かないんだ。


で、道間違えた、って思って、元の場所に引き返す。


てことは、もうすべてがベストと仮定しないと


我が出てきて、何通りもある成功への道を


勝手に狭く設定してしまうようだ。


だから、何が起きるかわからないけど、


その都度、その出来事に左右されず


起こることは受け入れていけば


今いる場所で、思っているようなことが起きるのかもしれないね。



そうやって見る世界は


意外とストレスが少ない。