彗星
その夏、かつて名声を一身に受けたある女優の墓所に立ち寄った。 彼女は生家の裏山にひっそりと埋葬されていた。しかしそれは、もともと彼女の本意ではない。演劇を志し不倫相手と恋仲になったが、その恋人が先に流行り病で亡くなってしまうと、絶望して自ら命を絶った。ほんとうは恋人と同じ墓に入りたかったのだ。 登っていくまでの100メートルほどは、お世辞にも整備されているとは言い難い荒れた小道で、小石や木の切れ端などがずいぶんところがっている。それどころか竹が斜めに突き出して行く手を阻み、なんだか切なくなってくる。 墓の横には碑が有り、碑には脚光を浴びた頃のモノクロ写真が刻まれてあった。墓前にはお参りに来る人が少し前に供えたものだと知れる枯れ干からびた花があったので、手に取り脇に片付けた。 彼女には演劇にかける凄まじいまでの執念と情熱とがあった。平凡な暮らしというものに馴染めず、離婚してから目指した女優である。自分を理解してくれる恋人に対する思いも不倫であるが故、さらに強かったのであろう。 心にひとつ望むこれを得られなければ、これと対等の価値と言われるものを百を寄せられても、ぜんぶ要らない。 山のセミ鳴く墓所には、そんな女優の強い意志を感じないではいられなかった。 あるものは、自殺は卑怯だという。そのとおり。自殺が馬鹿なことも確か。しかし、それによってその者の、執念や情熱が確定されるのも事実。 生きているものは常に、死者よりもあやふやな存在でしかないのだから。 例えば、地球の自転・公転のようなものを日常というのであるならば、太陽に近づくにつれ美しく長く妖しく光る尾を見せる彗星のようなものは、非日常なのであろう。 そして、私たちは日常の中で時にこの有り難さをも忘却し、その美しさと奇妙さとが入り混じっていく、彗星の尾のような日常にあらざるものに魅せられては、知らぬ間に引き寄せられていく。 女優はまさに、彗星であった。 太陽から遠く離れたところより時速30,000キロメートルもの速度で飛来し、太陽から放射される熱で自らを激しく蒸発させ、放射圧と太陽風とによって美しく長く、そして妖しく光る尾を見せて、数多の心を虜とする。 やがて軌道が太陽から遠ざかりはじめると、美しく長く、そして妖しく光る尾をしだいに失っていき、はるか彼方の遠い星の海へ……